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すべからく物事が収束し、カタルシスを生む物語のクライマックス――「奇跡」。しかし、その果てにはいったい何があるのでしょう? 創作物であれば、奇跡的・感動的な結末をすべての終わりと見なすことができます。そのあとはエピローグとして短くまとめられるまでです。しかし私たちが住むこの現実の世界は、当然、奇跡の大団円のあともひたすらつづいていくのです。どんな奇跡を体験した者だって、その先の未来(たとえば何ごとも起きない退屈な日常)を歩いていかなければならないのです。
なんともシンドイ話ですね……いえいえ、ちょっと待ってください。日常生活の凡庸さは置いておくとして、現実世界に終わりがないように、フィクションの世界においてだって、終焉の高らかな鐘を響かせるごとき奇跡的結末のあとにも、もしかしたらつづきがあるかも!――と想像をふくらませてみることは、思いもよらぬ発想の転換をもたらさないとも限りません。その先にこそ、真にドラマティックな物語が存在する、ということだってあり得るわけです。そうです。今回は、この「奇跡のあと」にフォーカスして、創作のため、小説を書くために、「奇跡のあとを描く」をひとつの創作アプローチ法として取り入れることを考えてみます。
まず「奇跡」について、いま一度考えてみましょう。奇跡を起こすために努力し奮闘する。何百分の一、何千分の一の可能性に賭けてすべてを注ぎ込み、ひたすら果てしないゴールを目指す。とてつもない運も味方し、人の祈りや思いの丈も力になって、ようやく成し遂げられる。それが「奇跡」というものです。ゆえに奇跡とは、何にもまして華々しいできごとであり、ストーリーをもつ多くの創作物が目指す感動の結末です。が、その先を想像するなら、奇跡をなし得た全エネルギーが尽きたあとの、静かで淡々とした日々が、思いもかけぬ綻びを露呈することだって考え得るわけです。あたかも奇跡の代償であるかのように、過酷な展開が待っていないともいえません。あるいは、絶頂期の若さを下って老いていくように、自然の摂理にも似た道筋を現すこともありそうです。もとより「真実の物語」とは、奇跡ののちに映し出される「常態」のなかにこそ、見いだせるものなのかもしれません。
彼女にも他のみんなにももはや言うべきことは何もない。だれひとり私の眼をのぞきこもうとするものはいない。敵意がひしひしと感じられる。
以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私に知能や知性がそなわったゆえに私を憎んでいる。
なぜだ?いったい彼らは私にどうしろというのか?
(ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』早川書房/2015年)
ダニエル・キイスが1959年に雑誌に発表した中編SF小説『アルジャーノンに花束を』は、翌年にヒューゴー賞を受賞したあと、7年の月日を経たのち長編に改作され一冊の本として発表されました。知的障害をもつ青年が画期的な脳手術を受け、天才的知能を手に入れるという奇跡を描いた作品――こんなあらましで紹介できる『アルジャーノンに花束を』ですが、この作品において真のメインストーリーが作動しはじめるのは、実は奇跡的な成功を収めた手術ののちのこと。ずば抜けた知力を身につけた主人公は、やがて人間社会の醜いありさまを目の当たりにします。そして、いくつもの非情なエピソードが織り込まれたストーリーは、ついに悲劇的な結末に至るのでした。人間の傲慢さを露わにしてみせたこの物語は、人生論とはまた異なる方面で、何が幸福で何が不幸かという原初的な問題にまつわる警句も含んでいるように思えます。白ねずみの「アルジャーノン」のいっそうの哀れさと、「ついしん どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」という、ラストの主人公の言葉にあふれた純真な優しさが、科学が実現する奇跡について考えさせ、そののちの物語のイメージを掻き立てるようです。
創作の世界で頻繁に取り扱われる「歴史」。それは大雑把にいってみれば奇跡の達成と衰亡、崩壊の繰り返しです。しかしそのなかでも、「達成」と「崩壊」を結末とする物語に比べ、「衰亡」をテーマそのものとする作品は少ないように思われます。確かに、衰亡の過程を辿るストーリーといったら、いささかクライマックスの躍動感や終幕の派手さには欠けるのかもしれません。ですが、人間の本質を抉りだしていっそう暗示的なモチーフとなり得るのは、むしろ衰亡の物語ではないかともいう気もします。
『賢帝の世紀』につづくこの巻は哲人皇帝マルクス・アウレリウスの統治ではじまると思っていた読者は、その助走期でもあるここまでの長い叙述は予想していなかったにちがいない。だが、これを述べた後でないと、皇帝時代のマルクスに話を進めていけないのだ。なぜなら、「秩序ある平穏」のアントニヌス・ピウス時代から一転して、難問山積の時代に変わるのがマルクス・アウレリウスの治世であるからだった。
(塩野七生『ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり』)新潮社/2007年)
塩野七生の『ローマ人の物語』は、古代ローマ帝国の栄光と滅亡を描く超大作の歴史小説。その第29〜31巻『終わりの始まり』は、かの強大な帝国の歯車が狂いはじめ、やがて抗いようもなく破滅への一途を辿っていく序章を描いています。五賢帝を擁し栄光の絶頂にあったはずのローマ帝国は、なぜ衰退していったのか――その背後で暗い音楽が次第にテンポを速めていくような壮大な衰亡史。それは、遥かな時間のなかで、人類の普遍的な歩みを切り取ったほんの一幕に過ぎないのかもしれません。
一方、大小さまざまな奇跡をちりばめながら、それでいて調和がとれているのが「自然」の世界です。そのなかには、人間の考えが及ばない仕組みや解明されていない事柄もまだまだ数多く存在します。ナショナルジオグラフィックなど、自然の見せる奇跡を捉えたメディアが、いまのこの時代においても人気を博しているのは、最も壮大かつ斬新な奇跡の物語を紡ぎあげるのが「自然」であるからなのかもしれません。
イチョウは地球上に出現してからこのかた、ほとんどの時間をヒトがまだ出現していない世界、こんにちとはまったく違う世界で、とうの昔に絶滅した動植物とともに暮らしていた。イチョウとその仲間の樹木は、私たちの祖先が爬虫類から哺乳類へと変わっていくのをずっと見ていた。イチョウ葉の化石はすべての大陸で見つかっている。大昔の超大陸が大西洋で隔てられる前から、南半球の大陸が南極大陸と分離する前から、イチョウの歴史ははじまっていた。
(ピーター・クレイン『イチョウ 奇跡の2億年史 ―生き残った最古の樹木の物語―』河出書房新社/2014年)
本書は、誰にとっても身近な樹木でありながら、実は知られざる奇跡の歴史を秘めたイチョウの物語です。2億年以上前に、いまと変わらない姿で地球上に存在していたというイチョウ。イギリス王立植物園の園長を務める著名な研究者ピーター・クレインは、氷河期にそのイチョウが中国のごく一部に生き残った奇跡からはじまり、日本へ辿り着き、さらに世界へと渡っていく長い旅路を詳細に語り明かします。厳しい環境に耐える力をもつことでも知られるイチョウですが、そんなイチョウをしても、想像を絶する峭刻(しょうこく)の時代を生き抜いた数はわずかで、ごく限られた種子が世界中へ拡散していくに至ったのは、人間と植物の奇跡的な巡り合わせとしかいいようのない成り行きでした。ものいわぬ植物、気候の変動や環境の変化に耐え、悠久のときを生きる樹木こそは、まさしく奇跡そのものなのかもしれません。そう思えば、いつもの街路樹からも何がしかのインスピレーションを得られるような気さえします。
果たして「奇跡」とは、一体、人間にとって恩恵なのでしょうか。それとも、実は厄難をもたらす禁断の領域における事象なのでしょうか。それを知る手掛かりは、書物のなかから、さらには自らの創作・執筆という行為を通じて得られるのではないかと期待します。
一冊の書で人生が変わった人がどれだけいることだろう。もしかすると書物は私たちに起きた奇跡を解き明かし、新たな奇跡を示すためにあるのかもしれない。いま言葉で表せないことが、どこかに書かれているのが見つかるかもしれない。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(『森の生活 ウォールデン)岩波書店/1995年』)
本を読みましょう。本を読み、冬の夜空の星のごとく広がるいろいろな「奇跡」をそこに探しましょう。そして、想像してみましょう。奇跡のあとには、何が待っているのか。奇跡というクライマックスを過ぎ越したのちには、どのような物語が生まれてくるのか――。そこに読み取れる喜びや悲しみの感情、絶望や破滅の意味、普遍的な真理は、本を書きたい、作家になりたいあなたに、きっと真実の物語を垣間見せてくれるはずです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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