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「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」――松尾芭蕉と同門の江戸時代の俳人、山口素堂が詠んだこの句は、日本人として骨に刻まれている郷愁を呼び覚ましてくれるかのようです。もとより日本人には、初日の出からはじまる一年のさまざまな“初”を愛で、見、味わおうとする性向があります。食物に限っていえば、それは必ずしも周囲に踊らされての初物信仰ではなく、初物とはすなわち四季の到来を告げるものであり旬である、という生活認識が大きく働いているように思います。そしてまた、初物は縁起物、旬の美味しいものを食すれば、長生きできたり福が舞い込んできたり――という話もありますね。これだって、迷信と切り捨ててしまうよりは、食事気分を盛り上げる舞台演出としてありがたく頂戴しておくのが得策。さておいても、五感を刺激するのは「旬」というキーワードであるようです。
文学的な「初物」に目を向けてみると、こちらは縁起物とありがたがられはしないにせよ、その作者がパイオニア、開祖として文学史に名を留めることになったのは確かです。この時代、文学や芸術、創造の分野で新しいものを生みだすことは極めて困難に思えますが、実は過去の時代を振り返っても、大多数の作家は同じ風潮や流行によって物語を描いていたことがわかります。ここでは、そんな文学シーンにあって、新しい創作の地平を切り拓いた作家たちの人生・背景を探りたいと思います。彼らこそはいち早く「旬」を嗅ぎ取って「初物」を世に問うた、世で最初の生産者といえるのですから。
ときは19世紀後半、SF小説の開祖と呼ばれるのはジュール・ヴェルヌです。H.G.ウェルズと並び「開祖」と称されますが、実際はヴェルヌの生まれが1828年、ウェルズが1866年とほぼひと世代違います。厳密に区分するならヴェルヌは“SF小説以前”なのですね。おそらく叙事詩や騎士道物語の系譜に連なる冒険小説に、優れて独創的なSFの要素を盛り込んだのがヴェルヌで、SF小説として大成したのがウェルズ、と位置づけたことからの、堂々と二者同率の「開祖」の称号なのでしょう。ともあれ、口火を切ったヴェルヌがSF小説・冒険小説を書くようになったのは、想像力や冒険心を育む幼少年期の環境によるところが大きいようです。幼少のヴェルヌが暮らしたのは、当時交易が盛んであった港湾都市、フランスのナントです。
私が生まれたナントにはそういう雰囲気がありました。長い航海の出発点で終着点でもある商業都市の海辺のざわめきの中で私は育ったのです。
(ジュール・ヴェルヌ/出典:メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)
「そういう雰囲気」とは、未知の世界の匂いがそこかしこに満ちた活気、というところでしょうか。想像力豊かな少年は、船乗りたちの冒険譚も身近に聞きながら育ったはずです。航空機誕生よりはるか前の時代、「港」というのは単純に船舶の発着所としての機能だけでなく、あらゆる冒険への「船出の地」という意味合いを備えていたことでしょう。現在でいうヒューストンのように。それはヴェルヌにとって、地球上の国や港や島のことだけではなく、どこへなりと旅立っていける空想の入口であったにちがいありません。
そして、ヴェルヌとウェルズをもって開祖と任じたSF小説ですが、もう少し時代を遡ると、その原始の姿に触れることができます。
私はよく、どこから生命の原理は出て来るのだろうか、ということを自問した。それは、むこうみずの質問であり、つねに神秘と考えられてきたものではあったが、臆病とか、不注意が私たちの研究をおさえつけないとしたら、どれほど多くのことがもうすこしで知られるようになることだろう。
(マリー・シェリー『フランケンシュタイン』/日本出版共同/1953年)
SF要素をもった開闢(かいびゃく)の一作とは、あの『フランケンシュタイン』。老若男女誰もが知るレジェント的怪物をこの世に産み落とした小説です。事実、作者メアリー(マリー)・シェリーこそSF小説の創始者とする主張もあります。ヴェルヌが『海底二万里』を発表するより先んじることおよそ半世紀、1818年にシェリーが生み出したつぎはぎだらけの人造人間は、ご存じのようにその後あまたの姿を披露し世界中の子どもたちを震え上がらせてきました。この小説を書いたシェリーが19歳の若さであったというのは驚くべきことです。彼女が『フランケンシュタイン』の発想を得る背景には、18世紀末からもてはやされたゴシック・ロマンスの流れを汲むところがあったと想像されますが、自由奔放な空想力は家庭環境とも無縁ではなかったでしょう。というのも、父はアナキズム、母はフェミニズムの先駆者。思想と創造の世界の自由さ、広大さ、そして波乱万丈の人生は、作家の「定め」同然であったと見るべきかもしれません。
さらに、文学の源流はSF小説からゴシック・ロマンスへと遡っていくことになります。
この私の発見は、私に言わせればまさに「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉は、とても表現力に満ちた言葉です。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。
(ホレス・ウォルポール/友人への手紙)
ゴシック・ロマンスの先駆とされているのは『オトラント城奇譚』(1764年初版刊行)。作者ホレス・ウォルポールは18世紀の小説家・政治家・貴族で、優雅な趣味人であったとか。興味深いのは、彼が「セレンディピティ」という、造語の代表格というべき語の発明者であったことです。「セレンディピティ」とは、何かを探しているときに新たな発見に出会うこと、偶然に幸運に恵まれることを意味します。ウォルポールは、この言葉を子どものころに読んだ童話『セレンディップの3人の王子』から思いついたといいます。「セレンディップ」とは、現在スリランカと呼ばれるセイロン島のこと。『セレンディップの――』は、インド洋に浮かぶ緑豊かなこの島を舞台に、観察力に優れた聡明な王子たちが幸運を掴むという物語です。貴族で政治家という、ちょっと日本人の感覚では計り知れない経歴のウォルポールですが、幼少期の愛読書をすら忘れない、純粋で鋭敏な感覚を成人後ももちつづけていた人物だというのなら、世界初の幻想譚を描いたのも頷けるというものです。
わたくしが八歳の子供のころ、なんでも父親が、あそこへ粉を挽《ひ》いてもらいにやって来る人々の大袋に、ふとどきにも流出口をあけて中身を失敬したという罪に問われて、そのために捕えられ、かくすところなく告白して、お上のお仕置に服しました。しかし、わたくしは、父がただいま天国にいるものだと、神様をおたよりにいたしております。と申すのも、そういう人々を幸いなりと、福音書〔マタイ伝、第五章十節の「正しきことのため責められる者は幸いなり……」をもじったもの〕も呼んでいるからでございます。
(『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』岩波書店/1972年)
ピカレスク小説の嚆矢とされているのは、作者不詳の『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』(1554年)というスペインの小説です。下層階級出身の主人公を語り手に、ひと癖もふた癖もある人々に仕えて生きてきた半生を、社会の悲惨な実相とともに風刺的に描いています。この小説が書かれた16世紀なかば、ヨーロッパはルネッサンス末期を迎えていました。スペインは文学・美術・音楽が隆盛した「黄金世紀」(15〜17世紀)の只中にあり、そのまま大航海時代にも差しかかるころです。新大陸にまで進出する華麗な繁栄ぶりを見せつつも、いっぽうで宗教改革の嵐が巻き起こり宗教分離がはじまります。その背景には教会の腐敗、聖職者の堕落がありました。この小説が作者不詳であるのも、作中の教会批判により異端審問の恐れがあったためと考えられています。そして黄金世紀と呼ばれた輝かしい時代、下層民の生活はといえば貧困と飢餓が蔓延していたのです。彼らは騎士道物語で理想主義が謳われる文学などには、もはや毫ほども共感できなくなっていました。ピカレスク小説は、そんな時代のなかから誕生したのです。
どんな天才作家も、自分一人の手で時代精神とか社会思想とかいうものを創り出す事は出来ない。どんなつまらぬ思想でも、作家はこれを全く新しく発明したり発見したりするものではない。彼は既に人々のうちに生きている思想を、作品に実現し明瞭化するだけである。
(小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』新潮社/1962年)
物語を書くこと、芸術を創り出すこと――創作も創造も時代の空気や潮流と無関係ではありません。初物小説を書いた作家たちにしてみれば、新しいジャンルを旗揚げしようとか、かつてない思想を説こうとか、勢い込んで筆を揮ったわけでもないでしょう。むしろ新しさへの意識などなく、物語の思想も、普遍的に人が内に抱えたものに過ぎないと知っていたのではないかと想像されます。
パイオニアの作家たちの人生と創作の背景を探ってみると、見えてくるのは、風潮に迎合しない無類に溌剌として柔らかなイマジネーション、加えて、時代や社会を観察し洞察する力です。新たなジャンル小説の開祖として名を刻んだ作家たちですが、物語のなかで活躍する、あるいは悲運や後悔に泣く登場人物らは、決して新進的で特別な存在ばかりではありません。本を書く、と意を決しているあなたはどう思いますか? 「新ジャンル」と称えられた、洞察を秘めた自由な創作世界に描かれるのは、誰もが抱くであろう感情を、生き生きと表して存在する“普通の人々”なのではないでしょうか。それら普通の人々に内在する“未開の感情”を掘り起こし、その斬新さをもって読者を魅了することができる作品。それを「初物の小説」と呼ぶのべきなのかもしれませんね。
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