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創造力は、人間だけがもつものといわれます。しかし動物のなかには、創造力の賜物としか思えない造形物をつくる種がいます。例えば、オーストラリアやニューギニアに生息する「ニワシドリ」などその最たるもので、雄鳥はなんと“あずまや”を建てるのです。“巣”ではありませんよ。ひとり思索したり、愛人と逢引したりしようと、王侯貴族が庭にこしらえる小さな建屋、あの風流でロマンティックな“あずまや”です。実際、雄のニワシドリも雌鳥を誘うためにこのあずまやをつくります。どこからか拾い集めてきた貝殻や花や光る物体による思い思いのデコレーション。その出来栄えの見事さには心底目を瞠りますが、ここにはさらに「トリ離れしている」としかいいようのない秘密の造形術があるのです。それは、大きな材料ほど小屋から離して置く「錯視」の技法が用いられていること。装飾物のサイズが均一であるように錯覚させ、美観度を高めることで雌を喜ばせようとは、なんという芸術的非妥協主義! 遠くの庭石を小さくして奥行きを出そうと企む寺より、よっぽど手の込んだ策士(シャレではない)ではないですか! あっぱれ。
とはいえ、ニワシドリが自然の導きでいかなる創造的・芸術的造形物を生み出そうとも、これらの行動に創造的態度はなく、すべては雌獲得のため、繁殖のためなのですから、自然界の厳格さを思わずにいられません。一方逆の考え方をすれば、繁殖本能がニワシドリの芸術作品の源泉となっているならば、人間の創作衝動にだって、繁殖とはいわずとも、本能的、根源的な理由が存在するといえるのではないでしょうか。だって、我知らずに、本を書きたい、物語をつくりたいとの思いに駆られる人は数限りなくいるのですから、そこに衝動を湧き立たせる共通の動機がないはずはないのです。そして「本を書きたい」と思うすべての人にとって、その根本的な動機が何であるのかについて自覚的になることは、創作においても人生においても、絶対的にプラスに働くことでしょう。
まず、より活き活きと充実した人生を送りたいという本能が、創作衝動を起こさせるということが考えられます。その辺の本能が、右脳かどこかの働きに通じているとかいないとかの科学的な話は脇へ置いておきます。ただ、人が物質欲や金銭欲と創造的欲求の“欲望の質”を無意識の裡にも区別していて、釣り合いをとるがごとくに発動するのが創作衝動である、ということは考えられます。つまり、私たち人間は、モノやカネが必ずしも幸福をもたらさないということをもともと理解しているか、本能的に知っていて、おのずと創作活動に意識が向くという理屈です。
最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。
(バートランド・ラッセル『ラッセル思想辞典』早稲田大学出版部/1985年)
イギリスの哲学者・論理学者バートランド・ラッセルのこの言葉は、民主主義・自由主義の新風が吹いた大正デモクラシーの作家たちに大きな影響をもたらしました。与謝野晶子はこの言葉を伝えたラッセルの著書『Principles of Social Reconstruction』を挙げ、ラッセルに倣って当時の生活を「所有衝動が最も多く働いて居る生活」(『鉄幹晶子全集 第19巻』勉強出版/2005年)であると注意を促して、創造精神の発揚を謳いました。
現代でいえば、ある歌手が華々しくデビューしてセレブリティな暮らしを謳歌、しかしその後はどういうわけか時間とともに煌めきを減じてしまって……という、晶子に「ホレ見たことか」と言われかねない一発屋のケースをまま目にしますが、やはり現実社会で所有物が多く多忙な人間が高い創造性を発揮することは難しいのでしょうか。
しかしそんな理屈を逆手にとるような人たちだっています。私たち人間はモノやカネが必ずしも幸福をもたらさないということをもともと理解しているかもしれませんが、それを実体験を経て知った人間のほうが、いっそう「最善の人生」についてより深く考えさせられ、結果的にその状況が、作品を創りあげたり本を書いたりするモチベーションを強化し、その創作物にいっそう確かな骨子を与えている――というケースです。それが、一発屋で終わらぬ真のスターの煌めきといえるのかもしれません。人間性の本質とは富める者も貧しき者も基本的に変わらないはずですが、より高い次元で「最善の人生」への思索を深めた人物ほど、創造性は別次元の振れ幅を見せるのかもしれません。
また、人は知識の積み重ねや訓練では得られない「sense」――「感性」というものを賛美する傾向がありますが、それと創作衝動や芸術志向は無関係であるはずがありません。創作に直結する「感性」とは、「才能」といいかえてもよいでしょう。この「感性」=「才能」は知識や訓練で得られるものではありませんが、だからといって「勉強ぐらいしか取り柄のない僕なんかどう転んでもお呼びじゃないのさ!」と身も蓋もない話と捉えないでください。なぜなら「感性」=「才能」は、そもそも身につけるものではなく、「磨く」ものですから。研磨具合の差こそあれ、誰もに「感性」=「才能」が備わっているのだとすれば、まだまだ充分に手立てはあるのです。
私は坂の上に見える深い空をながめた。小径を両側から覆うている松の姿をながめた。何という微妙な光がすべての物を包んでいることだろう。私は急に目覚めた心持ちであたりを見回した。私の斜めうしろには暗い枝の間から五日ばかりの月が幽かにしかし鋭く光っている。私の頭の上にはオライオン星座が、讃歌を唱う天使の群れのようににぎやかに快活にまたたいている。人間を思わせる燈火、物音、その他のものはどこにも見えない。しかしすべてが生きている。静寂の内に充ちわたった愛と力。私は動悸の高まるのを覚えた。私は嬉しさに思わず両手を高くささげた。讃嘆の語が私の口からほとばしり出た。坂の途中までのぼった時には、私はこの喜びを愛する者に分かちたい欲望に強くつかまれていた。――
私は思う、要するにこれが創作の心理ではないのか。生きる事がすなわち表現する事に終わるのではないのか。
(和辻哲郎『創作の心理について』/『偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集』収載/講談社/2007年)
哲学者で倫理学者の和辻哲郎のこの一文は、創作衝動の何たるかを象徴的に表しています。「生きる事がすなわち表現する事」――創作とは、感覚を研ぎ澄ませて生の実感を捉えるところから育っていくもの。つまり、いかに鋭敏にその感覚を働かせるかが創作物のよしあしに関わってくるわけです。温泉につかって「ああ、生きてルゥ……」と生の実感を目一杯味わったり、見物客で溢れかえる誰が見ても美しい花畑に感激したりしても、その程度の感覚からはごく凡庸な作品しか生まれてこないということです。何にでも感動するのが感性の豊かさの証というわけではなく、たとえ雑踏のなかいようと、あなた自身が極めて「個」を感じる状況に置かれたときに、何をどのように感じるかがキモきなってくるというわけです。
イギリスの作家ロアルド・ダールが、1972年にラジオでのインタビューに答えて、自身の初めての物語の誕生についてエピソードを披露したことがありました。それは、“創作の秘密”として思いがけず微笑ましく、多分に示唆的でした。ダールは、子どもたちが幼いころ、寝る前に毎晩オリジナルストーリーを話して聞かせていたというのです。
「ほとんどの話はひどいものだったけど、時には子供たちの興味を引くこともあったよ。子供たちが翌晩、きのうの続きをもっと話してと言えば、これはやったと思うのさ」
(BBCラジオ4でのインタビューより/1972年 ※テキスト化した原文および音源は、National Public Radioに掲載)
そのなかから産声をあげたのが、デビュー作『James and the Giant Peach(邦題『おばけ桃の冒険』)』でした。児童文学にも独特のユーモアをピリリと効かせ、短編の名手としても名高いロアルド・ダール。その才能ともち味に磨きをかけたのは、優れた批評家としての子どもたちであったのかもしれません。ダール自身も、子どもたちへの愛からはじまった毎夜の日課が、彼の創作に栄養満点の糧となるとともに、実際に作品を世に出してみたいという思いを強めている自分に、ある瞬間気づいたはずです。“愛が身を助く”といった観念論ではなく、愛が所以となった一途な行為が創作意識を研鑽した好例でしょう。
「創作衝動」を突きつめていくと、一冊の本を書くということはもとより、たった一篇の物語でさえも、単発的・自己完結的には決して生まれないものだと考え至ります。すべからく人には本を書きたいという思いがある。けれど単に衝動に力任せに乗じるのではなく、その思いを咀嚼し、意味を考え、感覚を磨くよう努力することが大切――その消化の過程をじっくりと経てこそ、輝ける無二の一作が生まれるのだといえましょう。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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