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「傾国の美女」とは、文字どおり君主を骨抜きにして国を滅ぼすほどの美女――という意味。フランスの哲学者パスカルの『パンセ』のなかには、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら……」というあの有名なフレーズが収められています。はたまたギリシア神話では、スパルタ王メネラーオスの美貌の妃ヘレネーが、トロイア戦争を引き起こして惨禍をもたらしました。美女とは、かように人騒がせな存在であります。けれど誤解を恐れずにいいますと、虜にされた男どもに限らず、「美女」とはちょっといえない世の九分九厘の女性たちにとっても、「絶世の美女」とは反感をもつ対象ではなさそうです(書きブロ調べ)。美女のなかの美女、正真正銘の美女となると、完璧な美術品のごとく、静かにたたずんでいるだけでも、性別を超え万人の心を掴むものなのでしょうか。
そんな美女たちはもちろん物語にも登場し、それぞれに華麗な花を咲かせています。ここで彼女たちは、出来過ぎた人形のようにおとなしく鎮座しているわけではありません。その美しさがひとつの思想であり、何ごとかの象徴であるかのように存在感を顕示し、くっきりとした像を結んでいるのです。しかし、いざ美女に重要な役を振る小説を書くとなると、その表現・描写にはちょっと手を出しかねる感もありますね。確かに、存在感ある“美”を描くというのは、どうしたって難しいものです。いうまでもなく、ただ「美しい女性だった」などと書いても露ほどの感銘も与えられませんし、「○○に似ている」といった他力本願もご法度です。それでは、古今東西の創作上の美女たちは、いったいどのように描かれているのでしょうか。今回はそんな文学美女図鑑をちょっと紐解いてみることにしましょう。
天使みたいにきれいな子だったわ。もうなにしろね、本当にすきとおるようにきれいなの。(略)最初見たとき口きけなかったわよ、しばらく。それくらい綺麗なの。その子がうちの応接間のソファーに座っていると、まるで違う部屋みたいにゴージャスに見えるのよね。じっと見ていると眩しくてね、こう目を細めたくなっちゃうの。
(村上春樹『ノルウェイの森』講談社/2004年)
……と、まさしく天と地ばりの格差美を供覧するのは村上春樹。ただし、この浮世離れした美少女は小説のヒロインではなく、心を病んだヒロインを支える女性の回想に登場するのみの脇役です。語り手の女性は、この並外れて美しくも病的なウソツキの脇役少女に誘惑され、人生を大きく狂わされたのでした。ほんのわずかしか登場せず、実体ももたないのに、少女の妖しい美しさと存在は、あたかも電磁波のごとく感覚に触れます。人間を誘惑し悪の道へといざなうメフィストフェレスさながらの邪悪さをまとうこの美少女のキャラクターは、物語中の重要なメタファーにもなっているのです。脇役といえども、美女を描く筆はゆめ誤れません。
その腕輪をはめたむっちりした腕も、真珠の首飾りをまいて、しっかとすわった首も、やや乱れて波うっている髪も、小さな手足の気品のある軽々しいしぐさも、いまや生きいきとしているその美しい顔も、どれ一つとして優雅でないものはなかった。しかし、その妙なる美しさの中には、なにかしら残酷な恐ろしいものがあった。
(レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』新潮社/1972年)
世界に冠たる文豪が生んだ美女は、一見さりげない、その実計算し尽くされた描写のなかからみるみる艶やかな姿を現します。その美貌と優雅さで社交界に君臨していたヒロインのアンナは、激しく狂おしい恋の果てに自死を選びます。しかも美しい肉体を木っ端みじんに破壊する轢死という死に方で。しかしながら、ドストエフスキーやトーマス・マンが完全無比の傑作と激賞した『アンナ・カレーニナ』が単なる恋愛悲劇のはずがありません。すべてをもち、数多の崇拝者を従えながら、全身全霊を恋に懸け、社会と人間の醜悪さに背を向けたアンナこそは、美女のなかの美女である以上に、女性として、人間として、命を燃やし尽くした類稀な存在であるのかもしれません。
美女たちのなかには、運命の女――ファム・ファタールと呼ばれる特別な集団がいます。強力な磁力を具え、ひとたび出会ったならその男の運命を変えてしまう魔性の女……といったところですが、総じて彼女たち自身は「悪」ではありません。むしろ、純朴で愚かで正直であるところがファム・ファタールたる所以であり、男たちを破滅へといざなう吸引力になっているようです。ファム・ファタールの役柄の場合、その美しさを描写する文章はほとんど見られません。たとえば、文学史上初のファム・ファタールを描いた『マノン・レスコー』のヒロイン、マノンに取りつかれ翻弄される男の目を通した彼女の姿はこうです。
彼女はきわめて魅力的に見えた。だから、これまで異性のことなど考えてみたこともなければ、女の子をちょっと注意してながめたこともなかった私、みなから、賢明で、慎重だと賞賛されてきた私が、一瞬にして燃え上がり、逆上してしまった。
(アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』新潮社/2004年)
また、オペラでも有名な『カルメン』のヒロインの登場シーンは次のようなものでした。
彼女は赤いひどく短い下袴を穿いていたので、一つならず穴のあいた白い絹の靴下と、火のような色のリボンを結んだ赤いモロッコ革のかわいらしい靴が覗いていました。わざと肩を見せるためにショールを拡げ、大きなアカシアの花房が肌着から出ていました。その上、口の端にもアカシアの花を一輪くわえ、コルドバの種馬飼育所の若い牝馬みたいに腰をゆすりながらやって来るのでした。
(プロスペル・メリメ『カルメン/コロンバ』講談社/2000年)
ファム・ファタールの威力はほぼ異性に向けて発揮されます。つまり、物語には肉体的に引き合う男女の構図が必然的に浮かんでくるわけですが、ファム・ファタールを単に強烈な性的魅力を発散する美女と定義してしまうのは、いささか安直かもしれません。性の一点に緊縛されて破滅していく男女の姿は、むしろ、社会の底辺世界や、実直な営みのサイクルから弾き出された者たちの像と不可分なのではないでしょうか。
では、もう少し日本の文学界に目を向け、趣ある美女たちを挙げてみましょう。
血管の浮くような細い腕や足はすらりと長く、全身がきゅっと小さく、彼女はまるで神様が美しくこしらえた人形のような端整な外見をしていた。
(吉本ばなな『TUGUMI(つぐみ)』中央公論社/1992年)
いま咲いたばかりの白い百合(ゆり)の花のような楚楚とした艶(あでや)かさ
(宇野千代『色ざんげ』中央公論社/1984年)
艶々した丸髷。切れ目の長い一重まぶた。ほんのりした肉づきのいい頬。丸い腮(あご)から恰好のいい首すじへかけて透きとおるように白い……それが水色の着物に同じ色の羽織を着て黒い帯を締めて魂のない人形のように美しく気高く見えた。
(夢野久作『あやかしの鼓』角川書店/1998年)
百花繚乱というよりも、筆それぞれが示す美の多様性に瞠目します。作家によって、作品によって、似たところのない美女たちが次々と創出されているようです。考えるに、“イイオトコ・イイオンナの条件”みたいなものは手軽にずらずら挙げられたりしますが、名にし負う“美”というのは、元来共通項をもち得ないのかもしれません。
さて、最後に挙げたいのは、大ベストセラー小説『風と共に去りぬ』のヒロイン。踏まれても、踏まれても、葦のように立ち上がり、ときにはあくどいことさえやってしまう、美女という個性に新風を吹き込んだスカーレット・オハラですが、実は書き出しの有名な一節はこんな風に表現されているのをご存じですか。
スカーレット・オハラは美人ではなかったが、双子のタールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力に捉えられてしまうと、そんなことに気のつくものはほとんどないくらいだった。その顔には、フランス系の「海岸(コースト)」貴族の出である母親の繊細(デリケート)な目鼻だちと、アイルランド人である父親の赤ら顔の粗野な線とが、目立ちすぎるほど入り混じっていた。
(マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』新潮社/2004年)
そう、スカーレットはそもそも美女とは設定されていなかったのです。けれど、「美人ではなかった」と断定されていたスカーレットが随一の美女キャラクターとして印象に刻まれているのは、映画でスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーの美貌が理由というわけでもなさそうです。文学史上名高いヒロインは、風に負けじと立ち向かって生きていくうちに、いつしか読者の目を奪うような活き活きとした美しさをみずから身につけていったのではないでしょうか――。
いずれにせよ、作家を志すあなたにとって、「美女」とは、あだおろそかにはできない存在であるはず。たくましい美女でもいい、あやかしのファム・ファタールでもいい、希代の悪女でもいい――世にただひとりの美女が艶然と微笑む物語を書きたいものです。
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