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唐突ではありますが、もの書きを目指そうという方なら、この手の問いは嫌いではないはず。
ひとつ「人間とは何か?――」。V.E.フランクルばりのこのテーマについて少し考えてみましょう。
人間とは、弱く、ちっぽけで、欠点だらけの存在です。逆に、心強くでっかく、欠点がまるでない人間なんていうのは存在しません。たとえ他者からの信頼が厚く、多くの人から尊敬される人物だとしても(イメージ的には俳優の故・高倉健さんのような)、よほどの自惚れ屋さんでない限り、その内面では、己の弱さ、小ささ、欠点に向き合い、歯噛みして何とかしたいと足掻き、ささやかな成果に束の間安堵する――そんな日々を生きているものです。健やかといってもいい人間の精神のその在り方に、セレブも有名人も変わりはありません。どんなに恵まれた境遇を得ようが、どれほど金を儲けようが、そのことを忘れれば感受性も人心も失いかねません。だから、金を儲ける才覚や有名になる才能があればあるほど、自覚と克己心が必要なはずなのですが、まあ、それは余談になりましょうか。例外というのはどんな世界にも一定数存在するものです。
さて、心にしみるエッセイとはどのようなものか――といえば、つまりそれは人の弱さ、卑小さに根差したエッセイではないでしょうか。そうしたエッセイを書く作家のひとりとして今回取り上げてみたいのは、吉行淳之介。人の弱さ・卑小さを知る作家≒吉行淳之介という公式は、ややもすると意外に思う向きもあるかもしれません。また、吉行淳之介といっても、いまの若い世代にはピンと来ないでしょう。赤線作家とか、やたらに女性にモテたとかいう周辺情報でホラホラと促しても、そもそも知らないと。時代が人を生むということがありますが、平成から令和に至るいまの時代には、吉行淳之介という男は、もしかすると存在しようもない人物であったかもしれません。
吉行淳之介は、ダダイスト詩人で小説家の吉行エイスケと、NHK朝ドラ『あぐり』のモデルとなった美容家・吉行あぐりの長男として生まれました。ちなみに、女優・吉行和子と詩人・吉行理恵というふたりの妹がいます。
吉行は1954年、30歳で芥川賞を受賞、遠藤周作や安岡章太郎、三浦朱門らとともに「第三の新人」と呼ばれました。生来病弱な人でしたが、そうした姿はほとんど世に見せることなく、昼から娼家に通い、連夜銀座で飲み明かすその嗜みは、まことに粋であったといいます。バーの女性にタッチする極意の会得を「桃尻三年、乳八年」と説き、フェミニストの槍玉に上がったりもしました。当時でさえその騒ぎですから、現在では完全にセクハラと断罪される話に違いないのですが、とかく人間には、良くも悪くも表に見えるのとはまた別の姿があるようです。そのギャップがまた、異性を惹きつけるチャームポイントだったりするわけですが。
色川武大は大きな紙袋を提げていて、大国主神(おおくにぬしのみこと)のようだった。その袋から、三鞭丸のアンプルやロイヤルゼリーやそのほか漢方系の元気の出る薬を一山、テーブルの上に積み上げた。そして、これから結城(昌治)さんの家に行く、と言った。袋の中身は半分残っていて、それを届けるのだという。
こういうことは偶然に過ぎない筈だが、いまにしておもうと、袋を提げて歩き出した色川武大は、ちょっと立止った。そして、「ま、これでいいか」と呟いて、巨体を揺らして立去ったような気になってくる。
それが、色川武大を見た最後である。
(「色川武大追悼」『吉行淳之介ベスト・エッセイ』所収/筑摩書房/2018年)
色川武大の急死に際し綴ったこの追悼文は、簡潔で乾いた筆致が吉行らしさを感じさせます。描かれているのは、死の直前、色川が予告なしに現れたという最後の訪問の様子です。その当時すでに訪問客を好まなくなっていた吉行の、何となく当惑した様子が覗いています。容貌魁偉な男・色川の無骨な動作は、何かの予感に動かされているような不自然さも匂い、不思議な呟きを残して帰っていくさまを見送った吉行は、彼の死後、その揺れる大きな背中を思い返したのでした。ここには、悲しみも追悼の句も直截には口にされてはいません。ですが淡々とした文面は、その奥にある思いを涙のように滲ませているものとして読み手には伝わるのです。
文章作法や文学について語ったエッセイも数多く遺した吉行淳之介。そのなかに、自分がなぜ書くのか、ということを見つめた1篇があります。
この世の中に置かれた一人の人間が、周囲の理解を容易に得ることができなくて、狭い場所に追い込まれてゆき、それに蹲(うずく)まってようやく掴み取ったものをもとでにして、文学というものはつくられはじまる。
(「私はなぜ書くか」同上所収 ※原文では「掴」は異体字。機種依存対応のためこの表記としています。)
稀代のモテ男がいったい何を言っているのでしょうか。吉行ともあろう色男が、周囲の理解を容易に得ることができないと――? いいえ、これこそが、己の裸の領域に触れた際に誰もがもつ実感であるはずなのです。人間存在の卑小さ、哀しさは何人も変わりがありません。セレブも著名人も、異性にどれほどモテようと芥川賞を獲ろうと、然り。だからこそそれを知る読者は、同じくその卑小さを知っている書き手の著作に共鳴するのでしょう。そして、この広い世界に同志を見つけたような喜びを覚えるのです。私は、ひとりじゃない――と。
吉行淳之介は1994年に死去しましたが、病と闘いながら、できれば21世紀を見てみたいと願っていたといいます。1924年生まれ、戦時にあって死ぬことばかり考え、終戦を期に180度方向転換して浮き立つ世に戸惑いを覚え、違和感を抱えながら生きつづけてきた男の晩年の思いとして、感慨深いものがあります。
「上から目線」という言葉がありますが、エッセイを書くに無論これは問題外。では「下から目線」? いやいや、おもねりほど人を苛立たせるものはありません。先述のとおり、心にしみるエッセイが内にもつものは、作家みずからの卑小さ、弱さを知る根、そこに向ける目。とすると、名エッセイの書き手となるために必要な目線とは、すなわち「内から目線」。本を著そうと思う誰もが、自身の弱さ、ちっぽけさを映しだす、内なる清らかな鏡をもつ必要があるということなのです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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