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「乾坤一擲」とのっけからちょっと難しい四字熟語を使ってしまいましたが、念のため解説を加えておきたいと思います。「乾坤一擲(けんこんいってき)」は中国の故事成語で、「運を天に任せて勝負に出ること。のるかそるかの大勝負をすること。」という意味です。しかしなぜエッセイに関して説く本稿で、有馬記念で穴馬に有り金を賭けるがごとき勝負魂が必要なの? どちらかといえば、それって小説家志望者へのエールなんじゃないの……と訝しむ方も少なくないでしょう。
では、言いましょう。だから、なのです。あなたに限らず、「乾坤一擲」と「エッセイ」の関係性を見出だせない書き手は少なくないはずです。そしてその理由は、エッセイストになりたいと願望を抱く人たちが実際に書くエッセイの傾向に関係しています。
『徒然草』のむかしから、身近な事柄や世相をつれづれなるままにとりあげ、書き手の感慨や見解を気ままに記すのがエッセイ、それでよし――と思い込んでいる人は少なくありません。ついありがたみを忘れがちな日常風景をほのぼのと描いてみたり、社会的・時代的な風潮にピリッと皮肉を効かせてみたり……エッセイは確かに、共感性の高さや味わいの豊かさで、読者にとっては折に触れて手に取り開く一冊になり得るものです。しかし誰もが同様に体験する「日常」だからといって、エッセイを手すさび的に容易に書けると思うのは大きな勘違いです。どこにでもある何気ない題材であるがゆえに、それを妙味あるエッセイに仕立て上げるのはすこぶる難しいのです。この意外なほどに高いハードルを越えて遥か高みの到達点を示しているからこそ、『枕草子』『徒然草』『方丈記』が日本三大随筆の栄誉を与えられ、近現代の数々の作家が名随筆家として名を残しているのです。「エッセイ」の一語をもって“日常のあれこれをつれづれに綴った作風”と十把一絡げにしてはなりません。ジャズ演奏の世界でも同じですが、こうした“スタンダード”な系譜に連なるからには、並ならぬ勇気と自信、そしてもちろん相応の実力が求められるのです。つまり、エッセイを書くならば、“つれづれなる”の範疇から一歩でも二歩でも先に視線を向けないことには、あなたがエッセイを書く必要性が見出だせなくなってしまうのです。独り善がりのエッセイ執筆なんて……ちょっと哀しくないですか?
乾坤一擲とは大勝負に出ること。だからといって、競馬でいうところの逆張り”の大勝負に出てひとり勝ちを狙え、誰もが選ばぬ色物やニッチを題材にスマッシュヒットを当てよう――と唆しているわけではありません。むしろその逆。乾坤一擲を本来の字義どおりに解釈しましょう。要は「私ならこう書く」と真のオリジンになることを意識し、それで勝負する心がまえをもつべきなのです。そのうえで入念に準備し、つれづれの一歩先のテーマに飛び込み、突き詰め、「頂」を目指す入魂の執筆姿勢を維持したいところです。
この高い山に登ると心を決めたならば、はじめに、いかなるテーマに取り組むかという問題に向き合うことになりましょう。日常雑記なら比較的のんびりと周辺を見渡していれば話材が見つかるし、またそうしたゆったりとしたポーズがつれづれエッセイの身上でもありますが、乾坤一擲のエッセイとなったら、生まれ変わったようにその姿勢を改めなくてはなりません。すなわち、自分ならではの「これよこれッ!」という材料を得るべく、視界を広くしアンテナを研ぎ澄ますことが肝要です。それが難しいんだァ……と二の足を踏む人もいるかもしれませんが、実のところアイデアを得ること自体はそう難しくはありません。まさにそこが意識を変えて目からウロコが落ちるべきポイントなのですが、誰もが、自分ならではのエッセイを書く材料をすでに深層意識で捉えているのです。あァ、またムツカシイ……と逃げないでください。どういう意味かって? たとえば「アレ何だ?」と不思議に思ったり、「やっぱ本音と建前違うよナ」と不審を覚えたりする物事は誰にでもあるはず。ただ多くの場合は、取り立てて思い直すこともなく流し忘れてしまうものです。だってそれは日常の風景だから。でもそんな姿勢こそが、歯に衣着せずにいえば、鈍感人間の所業にほかなりません。根本的な意識改革に乗り出さなければならない、つれづれエッセイストのダメなところなのです。次の言葉をしかと胸に刻んでおきましょう。誰もが目にし体験し得る事柄に、ふと素直な疑問を覚えたところから、「乾坤一擲」のエッセイの足がかりができるのです。
大正期にはいり、葬列が衰弱していく。葬儀屋は、なんとかこの傾向を押しとどめようとするが、時勢はいかんともしがたい状態にあった。(中略)どうせ葬列が保持できないのなら、これはいさぎよくあきらめる。そして、思い切って、自動車で葬列をやってしまう。(中略)霊柩自動車は、葬送の簡素化が極端に押し進められたときに出現するものであった。行列を組んで歩くことをやめ、遺体を自動車で運搬してしまう。以上のような合理精神を具体化したものであった。
(井上章一著『霊柩車の誕生』朝日新聞社/1984年)
建築史家・井上章一の専門は当然建築史なのですが、彼はまた、天命を受けたかのように、多くの人が一度は気づくが誰も論じようとはしない事柄を取り上げ語り尽くすスペシャリストでした。たとえば、近ごろはあまり見かけなくなりましたが、あの黒塗りの8ナンバー「霊柩車」の、名古屋城の金のシャチホコが憑依したかに思える金ピカの設え。あれに、いったい何ごとだと慄いた少年少女はひとりやふたりではないはず。でもその多くは兄姉や親から「あれは霊柩車といってな――」と講釈を垂れられ、以降はせいぜい車体が見えなくなるまで親指を隠す所作を覚えるぐらいのものでしょう。が、井上は違います。すぐさま霊柩車に結びつく葬儀・葬列の歴史を紐解き、たかが霊柩車の一事についてこれでもかと語りに語り一冊の本をしたためました。またあるときは、薪を背負って勉学に励む二宮金次郎像が全国各地に建つ事実に不審を覚え、これもまた徹底的にそのいきさつを調べ上げました(『ノスタルジックアイドル・二宮金次郎』)。そればかりか、日本が誇る世界遺産、日本的美の極致といわれ国内外からその美を拝もうと人々が殺到する桂離宮に、『はだかの王様』さながら、いったいどこが美しいのかと疑問を呈しました(『つくられた桂離宮神話』)。かと思えば、いまのご時世、下手に触れば炎上必至、多くが遠巻きにして近寄ろうとしない容姿の美醜について、果敢な筆致で持論をぶちあげました(『美人論』)。井上の専門、建築史であれば、当然、素人には手も足も出ません。しかしここに挙げた井上のエッセイのテーマは、誰にだって拾い上げることができたはずのテーマ、それなのに誰も書かないテーマ――なのです。そんな井上の仕事には、乾坤一擲のエッセイに取りかかるためのヒントが間違いなくあります。霊柩車を、二宮金次郎像を、桂離宮を、容姿の美醜を、井上は他者の目ではなく自分の目で見、咀嚼し、私ならこう書くと自身の感覚を信じ勝負に出たのではないでしょうか。
さあ、いまここにエッセイを書く道がふたつあります。あなたならどちらを選ぶでしょうか。ひとつはつれづれエッセイ道。人間性と洞察力を磨きつつ、人生の酸いも甘いも味わい尽くしたかのような深い眼差しで、折々の生活風景を静かに見つめるエッセイです。実際のあなたを知る良心的な読者からは、「あなた文才あるのねぇ」と褒められもするでしょう。それもアリです。そしてもうひとつは、本稿で語ってきた乾坤一擲エッセイ道。文字どおり大勝負に出る気概をもって、誰もが気づいてはいたが書かなかったテーマにどっぷりと浸り、物事の真髄に斬新な角度から切り込むエッセイです。それを読んだ知人は、もしかしたらつと黙り込んでしまうかもしれません。しかしその沈黙を恐れる必要はありません。むしろ快感に貫かれていい。なぜならあなたはもう、その沈黙の理由を知っているはずだからです。
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