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みんな大好きドロドロ愛憎劇。男女の愛憎、親子の愛憎をテーマに取り上げた物語は、昼ドラ枠を占有するに留まりません。例を挙げるまでもなく、古今東西、文学の世界でも地平の果てまで見渡す限り愛憎劇の平原といっていいかもしれません。友人関係や師弟のあいだに愛憎の情緒が生まれることも当然あります。憎しみは愛情の裏返しとよくいわれますが、愛するがゆえに、愛情の深さのそのゆえに、憎しみに転じた感情が殺意にまで発展する――ということは現実の世界でもよくあります。それにしても、愛という本来豊かで優しさで満ちているはずのものが、一転、激しく猛々しい憎しみに姿を変えてしまうのはなぜなのでしょう。それを、プラスからマイナスへ大きく針が振り切った「反動」と片づけてしまうのは、安易に過ぎると感じます。
近年になって、愛が憎悪に変わるという、まるで毒されたかのように感情の反転を引き起こす原因のひとつとして、「共依存」の関係性が指摘されるようになりました。「共依存」とは、互いに依存しあう囚われた人間関係を好む性向を指します。共依存症者Aは、己が生きていくなかで安心感を与えてくれる相手Bを欲します。それは自分が求めてくれるものを明らかにしてくれる存在です。どのように行動すればよいかわからないAの迷いに、「あなたは間違っていない」と肯定してくれるB。それに対しAは、Bが認めてくれるようにと一心に尽くしつづけることになるのです。加えて、こうした依存は常に主従の状態にあるのではなく、AとBの二者のあいだには同じ心理が双方向に働いていることが少なくありません。結果、共依存関係のきれいな円環ができあがるのです。『嗜癖する社会』(誠信書房/1993年)で共依存について論じたアメリカの病理学者アン・ウィルソン・シェフは、共依存の特徴として、相手のために尽くす自己犠牲的傾向と、相手を支配しようとする自己中心的傾向、一見矛盾するふたつの心的傾向の同居を挙げています。それゆえ非常にアンバランスな状態で、共依存関係がひとたび破綻するや、この矛盾がぶつかりあうことで「憎悪」の波は指数関数的に増幅するのです。
日本の武将として人気度・知名度常にトップクラスの豊臣秀吉を、“愛憎の人”として描いたのは野上弥生子の『秀吉と利休』でした。歴史小説に愛憎のドラマを見ることはいまでこそ珍しくはないかもしれません。秀吉と利休の特異な関係に着目した物語づくりも折々見かけます。そこに誰よりも早く注目し、誰よりも鋭く緻密に描いた作家こそ、野上弥生子なのです。『秀吉と利休』の版元、中央公論社のキャッチコピーにはこうあります。
勢威並ぶものなき天下の覇王秀吉と、自在な境地を閑寂な茶事のなかに現出した美の創造者利休。愛憎相半ばする深い交わりの果てに宿命的破局を迎える峻烈な人間関係を、綿密重厚な筆で描き切る、絢爛たる巨篇。
野上弥生子は、なにゆえ、秀吉という希代の武将に暗く激しい情念を感知したのでしょうか。なにゆえ、重用しておきながら最後は切腹へと追い込んだ茶人と秀吉との関係に、ただならぬ深みを見いだしたのでしょうか。小説家になりたい、本を書きたいとゴールを目指すのであれば、本書のこの点を、よくよく思料する必要があるでしょう。野上弥生子という作家が高名な武将と茶人に愛憎の根を探ったとき、そこに現れた無惨に砕け散ったもの――それは、共依存関係の残骸であったのかもしれません。
秀吉が一種えたいの知れない気おくれに捉えられるのは、この瞬間である。自分の輝きが急にきえ、影のうすい、見すぼらしいものになった気がする。そこにただ黙って坐っているものから来る、抵抗しがたい威圧であった。
(野上弥生子『秀吉と利休』中央公論社/1996年)
秀吉と利休の対比的な構図は、前述のとおりいまでこそ珍しくはありませんが、野上弥生子はふたりの関係性をはじめて小説の主軸に据えた作家でした。のみならず、ダイナミズムに富む歴史ドラマを背景に遠ざけて、ふたりの人間性に深く分け入ってその功罪を検証しました。野上が描いた秀吉は、利休の才智を愛しつつ、自分が太刀打ちできない世界に凛と佇む姿にときに引け目を感じています。もとより秀吉のこうした引け目を雅と洗練で埋めたのが利休でしたが、両者の関係に少しずつ亀裂が生じ、ついには劣等感が憎悪となって噴き出してきます。いざ切腹を命じられた利休は、謝罪しなければ死を免れないと理解しながら、再び秀吉に仕える道は選び難いと感じたのでしょう。こうして秀吉と利休は永別します。それは、政治的な措置でも世間への見せしめでもなく、愛憎の果てについに心の疎通が決裂した結果でした。
一組の人間たちのあいだに生じるまったく対照的な感情「愛憎」とは、実にドラマティックなフレーズです。が、作家になりたい、小説家を目指すという者であれば、それを安易に描くのは禁物です。「愛」と「憎」とは、決してふたつ一組のセットでもなければ、さっと裏返して作品に色を添える表裏一体の便利なカラクリ仕掛けでもないのです。
『秀吉と利休』は、天下人とお抱え茶人の濃密な関係が断ち切られたその糸を丹念に手繰り寄せ、愛憎の根の解釈を読者に委ねます。「共依存」についていえば、初版刊行の1964年当時、もちろん野上はその医学用語を知らなかったでしょう。しかし医学用語は医学用語にすぎません。用語というのは、ある現象や状態や構図なりを、体系的に論じる際に必要が生じ定義づけられる言葉であり、すべからく“あとづけ”のものなのです。肝要なのは、この語を知っている知っていないではなく、人間関係において共依存の状態が生じ得るということ、またそこに至る、またその関係が崩壊するまでの変遷に対する深い洞察なのです。
豊臣秀吉と千利休の関係の破綻の理由には諸説ありますが、それを説明する鍵のひとつに「共依存」を挙げたからといって、創作性に頼りすぎているとはいえない次元で野上は先のふたりを描ききっています。歴史的一事の真相は、あるいは野上が描いた関係性とはもっと別のどろどろと渦巻く感情の爆発、またあるいは傑出した人格のぶつかりあった末路であったかもしれません。ただここではっきりと言えるのは、「愛憎」について野上のごとく考えを深く巡らせることには非常に大きな意味があるということ。いつの日かあなたの描く愛憎の陰翳が「名作」として語り継がれる日が来るとすれば、それは人間への深い洞察と研鑽の果てに得られた感慨を、あますことなく作品に封入できたときなのです。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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