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文豪を、文豪たらしめた要素とは何でしょう? 何が彼らを大勢の作家たちと明確に隔て、特別な輝きを与えたのでしょうか? もちろん、才能の質量の差異ということはあります。けれど、本を書きたいあなた、ここで挫けずあと数行読んで考えてみてください。彼らは、母の胎内にいるうちから偉大な作家になるべく誕生したわけではありません。誰しもと同じように、「あいうえお」や「ABC」がおぼつかないところから人生をスタートし、いずれかの地点で文学を志し、作家として名乗りをあげ、いつしか“文豪”という栄冠を頂くようになったはずなのです。彼らの人生、文学的道のりが、はじめから終わりまで順風満帆だったと思われますか? いいえ、そんな人生はこの世のなかにひとつもありません。精神的な紆余曲折のプロセスのどこかに、文豪たちが“円熟味”を増すだけの秘密がきっとある――今回はそんなふうに狙いを定めて、内外の幾人かの文豪の人生を辿ってみましょう。
芥川龍之介は、将来に対する「唯ぼんやりした不安」という言葉を残してみずから命を絶ちました。時は昭和2年。不穏な時代の雲行きにいざなわれたという見方もあります。ですが、人間の内側を洞察する作家が、正体もわからない不安、という漠然とした理由で死を選ぶものでしょうか。そこに文学・創作上の理由が何もなかったとは考えにくいのではないでしょうか。芸術と生活は相いれないという考え方を示した、誰よりも美の本質を沈思する芸術至上主義者であったはずの芥川であれば、なおさら疑わしいです。
藝術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない。しかし作品そのものを見れば、作品の美醜の一半は藝術家の意識を超絶した神祕の世界に存してゐる。
(芥川龍之介『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』岩波書店/2003年)
小説家として芥川が活動したのはわずかに10余年ですが、短いながらもその間の作風には変化が見られます。初期の代表作は『羅生門』『鼻』『芋粥』など古典や説話に材を取った翻案もの、中期には『邪宗門』『南京の基督』といった一連の宗教小説。そして死の年に書かれたのが、死にゆく老人の眼から家族の醜く残酷な姿を捉えた『玄鶴山房』と、精神病を患う主人公が河童の国に迷い込む物語『河童』でした。
「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。しかしかう云ふ小説も存在し得ると思ふのである。「話」らしい話のない小説は勿論唯身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。
(同)
晩年、小説の物語性を主張する谷崎潤一郎に猛然と反論した芥川。しかして自殺した年に書かれた『玄鶴山房』は、“「話」らしい話のない小説”、いっぽうの『河童』は、初期の作品をも彷彿とさせる活き活きと“物語らしい物語”であったのです。芥川龍之介は、生を倦み世を疎んでいたかもしれません。しかし、芸術至上主義者としての彼は、みずから論じた二通りの形の小説を書き上げることで、小説家としてひとつのピリオドを打ったのではないでしょうか。
ヴィクトル・ユゴーは、その生涯を紐解くと、とても度量の大きな作家であるという印象をもちます。詩人として出発し、10代から華々しい活躍を見せた彼は、いまなおロマン主義を代表する詩人として評価されています。ユゴーを語るとき、ナポレオンの失墜、王政復古、七月革命、二月革命、ナポレオン三世による第二帝政――と、政治体制が目まぐるしく移り変わった、フランス19世紀の時代を見過ごすことはできません。ナポレオンに心酔する父と王党派の母という、両親からして対立的主義。そこに生を享けたユゴーは、類例のない激しい百年期を生きました。このような時代の混沌がもたらした感情的な動揺、あだ花のごとく咲いた文化・習俗でさえも吸収し、創作として形にしていった、それがユゴーという作家であるような気がします。
ユゴーがその人生でもっとも嘆き悲しんだのは、最愛の娘を突然失ったことと想像されます。のちにその慟哭は、神秘的霊感のうちに詠いあげられ『静観詩集』という形で世に示されます。その後、政治政局の変化を目の当たりにしたユゴーは、保守主義から人道主義へと変貌を遂げ、1862年に2000ページを超える大河小説『レ・ミゼラブル』を発表しました。
海洋よりも壮大なる光景 それは天空である
天空よりも壮大なる光景 それは実に人間の内奥である
(『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳/岩波書店/1987年)
世界の少年少女名作全集でもおなじみ、徒刑囚ジャン・ヴァルジャンの生涯を描いた『レ・ミゼラブル』は、まさしく怒涛のごとき“物語”です。けれど、人々の運命を狂わせ数奇な縁で結びつけるこのドラマは、根も葉もないイミテーションではなく、“現実”のなかに存在し得るものであると、ユゴーは身をもって知っていたのではないでしょうか。壮大な物語はジャン・ヴァルジャンの死の場面で幕を下ろし、19世紀フランスを体現するごとき激しい人生を送ったヴァルジャンの、墓碑に刻まれた詩句を掲げて結ばれるのでした。
彼は眠る。数奇なる運命にも生きし彼、
己が天使を失いし時に死したり。
さあそれもみな自然の数ぞ、
昼去りて夜の来るがごとくに。
(同)
ロシアの文豪トルストイは、晩年、不治の病に臥し恨みと怒りに凝り固まった平凡な一官吏が、最期の瞬間に死の本質に喜びをもって触れるという物語『イワン・イリッチの死』を著しました。前述の芥川、ユゴー、そしてこのトルストイ。これら3人の文豪たちは奇しくも、ともにその晩年、あるいは壮年期に、主人公の死の床に幕を閉じる物語を描いたわけですが、果たしてそれは偶然であったでしょうか――。
人生の終わりが誰にも訪れるように、市井の人々の生涯にも、不思議な運命のドラマがちりばめられているのだと『レ・ミゼラブル』は教えてくれます。そして、文豪たちの創作年譜はその生の軌跡に通じるもの――それを読み解くところに、もしかしたら“あなたが本を書くためのヒント”を発見できるかもしれません。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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