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人類が最後に罹るのは、希望という病気である。
この言葉を残したのは、『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリ。これはまた、寺山修司が『競馬放浪記』のなかで幾度となく引いた一節でもあります。そして現代においても「希望」という言葉は、「救い」をストレートに象徴するキーワードとして、あらゆる業界・メディアで利用されています。小説でも雑誌記事でもニュースでも広告のキャッチコピーでも人気楽曲の歌詞でも、「光」をイメージさせつつ「未来」を指し示す、生きる力を湧き立たせる魔法のフレーズ「希望」。ある意味、人類は種族としてすでに最終局面に差し掛かり、“希望病”なる奇病に侵されているといっていいのかもしれません。
というわけで、みんな大好きワード「希望」を文章や内容に盛り込んでおけば、安易にオイシイ作品が一丁あがりとなるわけですが、そうなるとやはり完成品もファストフードのごとき扱いを受けてしまうので注意が必要です。量産型の売り捨て流行歌の歌詞を書こうと思うなら話は別かもしれませんが、そこは時代の銘鈑に我が名を刻まんとする文筆家の卵たる者、惹句の女王「希望」の甘い誘い、現代社会に浅く広く吹き渡る「希望」の涼風に安易に乗っかっては沽券に関わるというもの。
希望――それは未来への望みを託す輝かしい言葉には違いありませんが、実は目にも眩しいキンキラな輝きではなく、地中に眠る貴石さながら、表からは見えない場所からそっと掘り起こされ磨かれることで、やっとその真の尊い光を発するものなのです。掌に掴むや翌週にはたちまちしぼんでしまう希望ではなく、いつまでも高貴な輝きを見せる胸中の珠(たま)。作家を志すならば、そんな真の希望煌めく作品を創り上げたいではありませんか。そこをテーマに論じる今回、ヒントになり得る作品を紹介するわけですが、奇しくも同じキーワードをタイトルにもつ2作品となりました。
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このやうな人生を我々は運命と稱してゐる。もし一切が必然であるなら運命といふものは考へられないであらう。だがもし一切が偶然であるなら運命といふものはまた考へられないであらう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもつてゐる故に、人生は運命なのである。
希望は運命の如きものである。それはいはば運命といふものの符號を逆にしたものである。もし一切が必然であるなら希望といふものはあり得ないであらう。しかし一切が偶然であるなら希望といふものはまたあり得ないであらう。
人生は運命であるやうに、人生は希望である。運命的な存在である人間にとつて生きてゐることは希望を持つてゐることである。
(三木清『人生論ノート』/「三木清全集 第一巻」/岩波書店/1966年)
哲学者・三木清の『人生論ノート』が書かれたのは70年以上前、太平洋戦争が勃発したころでした。戦争のさなか、そこにノートされたのは人生を誠実に毅然と生きるための考察。それは哲学ではありますが、荘重な哲学書の切れ味鋭いアフォリズムよりずっと「生」の実感に満ちて、心の襞にすっと自然に入り込み、人間の本質や人生の真理へと導いてくれる言葉の連なりでした。人間とはいかなる存在か、人間が住む世界とはどのような場所か、生活活動の根底にあるものとは何か、虚栄心とは何か、利己主義とは何か、個性とはどこから生まれるものか、怒りや嫉妬・偽善の正体は何だ、孤独と幸福考、そして希望について――それはなんと人肌に直に感じられる哲学であったことでしょう。
三木の言葉は、一見耳に心地よいが中身がスカスカのフレーズや、励ましの勢いばかりの決まり切った文句とはまったく質の異なる、人間の感情や思考のナチュラルなラインに寄り添うものでした。たとえば、嫉妬心を克服するためには、人間は自信をもつ必要がある。自信をもつには、何かをつくりつづける努力をすること。そのなかで自分と向き合える心境に至ったとき、嫉妬は克服できる――と説くのです。その人生論は、古今の思想家・哲学者の教えを養分にして耕した土壌からすくすくと伸びた穀物のように、実感も確かな根があり、健康的で堅実です。
『人生論ノート』というタイトルは、三木の研究・勉励の名もなき到達点を示すかのように、シンプルで平易です。大正末期にドイツに留学し、錚々たる哲学の薫陶を受けた三木清が、無駄を削ぎ夾雑物を濾過して「人生」という大きなテーマを思索して書き綴った、それは究極の思想メモなのです。もとより、生きることの何たるか、人間の何たるかを知らずして真の希望について理解できるはずがありましょうか。『人生論ノート』に書かれているのは、人生における思想と感情活動の詳細にわたる定義です。
終戦の年、治安維持法で検挙された三木は獄中で病死します。享年48歳。『人生論ノート』の冒頭には死について考察が述べられています。戦時の思想弾圧のもと、深い葛藤を抱えつづけた三木は、次第に死を恐れる気持ちが薄らいでいったと語っています。そして、愛する者の死に対峙した経験が三木に次のような境地をもたらしたのです。
執着するものがあるから死に切れないといふことは、執着するものがあるから死ねるといふことである。深く執着するものがある者は、死後自分の歸つてゆくべきところをもつてゐる。それだから死に對する準備といふのは、どこまでも執着するものを作るといふことである。私に眞に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。
(同上)
「愛」と「死」がこれほど近しい間柄であるなら、「希望」に密着ししっかりと支えているのは「絶望」なのかもしれません。人の生とは、相反するものが隣り合わせになって、美しいシンメトリーの柄を織りなしていくものなのでしょうか。本書は、時代を隔てても、希望を巡る深い思索に導いてくれる、貴重な一冊のノートです。
あなたがもし俳優でないなら、俳優という人種がどれだけ「演じる」ことにおのれの精魂、人生、意識、肉体、信念を注ぎ込むことが可能であるのか、その最高レベルの探求をとくと堪能できたことだろう。その幸運に私から盛大なる拍手を送ろう。
おめでとう。(あとがきより)
(山崎努『俳優のノート』文芸春秋/2013年)
山崎努という俳優を、“俳優の中の俳優”と称賛する役者や舞台・映画関係者は少なくありません。とりわけその理由は、彼が舞台で役に臨むときの全身全霊を込めた姿勢にあるようです。本書はそんな山崎努が、シェークスピアの四大悲劇のひとつ、狂気の老王の破滅を描いた『リア王』の主役に挑んだ日々を自ら記録したものです。まさしく「ノート」と呼ぶにふさわしい、心が発する生(き)の言葉が克明に連ねられています。
舞台を観客席側からしか観ることのない者が驚かされるのは、俳優という仕事がこれほど苦悩に満ちた壮絶なものであること。同業者からも名優と謳われる山崎努であっても、いえだからこそか、ひとつの役ごとに心身を酷使する張りつめた苦闘の道を往くというのです。あたかも綱渡りのようなその道は、ときに現実生活の事件さえシンクロし揺さぶられもします。『リア王』稽古中には盟友の伊丹十三の飛び降り自殺の報に触れ、激しく動揺する心情が吐露されたくだりもありました。俳優とはまったく、同時に複数の人生を歩む因果を背負っているようです。
役者は人間を演じます。人間を演じるということは、人間の生きざまを演じるということであり、生きざまは太い水の流れのようにひとつに連なっているのだから、ひとつの場面の目配せも、よろよろとした足取りも、たどたどしい口調も沈黙も、その流れのなかで必然的な意味をもっています。役者はそれをよくよく理解して演じなければならず、その苦闘は想像を絶する厳しく激しいものであると理解されます。山崎のような年季の入った俳優をしても、舞台の開幕直前にはたとえようもない恐怖に襲われ、金縛りにあったように硬直してしまうことがあるそうですから、演じるということの心身への負担はそれほど凄まじいものなのです。
リアとの旅はスリリングだった。
リアは絶えず、俺は変っていない、最後まで何も変っていない、と囁き続けているような気がした。お前は変ったのだ、と捻じ伏せた。今もまだリアの囁きは聞こえてくるようだが、しかし旅は終ったのだ。
リアよ、さらば。
(同上)
公演の終わりが見えてきたとき、次第に、そこはかとなく立ちのぼってくる気配は、何あろう「希望」の明るい光を思わせます。俳優がある役を演じる長い道には、苦悩や葛藤、迷いや怖れといった負の感情が絶えずつきまとい、だからといって降りることも引き返すこともできない苛酷な道です。もしかしたら、のたうつ苦しみのなかにいるということは、希望にいましも迫る闘いのなかにいる、ということの証なのかもしれません。逃げてはいけない、降りてはいけない。俳優山崎努の“演じる”日々を綴ったノートは、その自分との闘いの向こうにあるものを垣間見せてくれます。
作家になりたいと志すあなたが、真の希望の在り処を示唆する作品を書こうとするならば、何思い何を感じるべきか――。それは熟考に値するテーマといえましょう。純文学を書くにせよ、深遠な詩を書くにせよ、安い希望を振り撒くようなことがあってはなりません。希望とは、複雑で、分厚く、混沌したものの向こうに存在する、容易には手の届かないものなのですから。
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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