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「絶望」とは、「希望や期待がまったく失われること」(『精選版 日本国語大辞典』小学館)と辞典にあります。「絶望」、まあ控え目にいっても、あまり歓迎できる状態ではないと誰しも思うことでしょう。だから皆、絶望などに捕まることのないよう細心の注意を払いながら、日々の営みを繰り返し、小さな不満や心配ごとはあっても現状に満足して(いるフリをし)、目の前にある楽しいこと興味を惹くことに身を任せ生きている――“健全なるフツーの人々”というところでしょうか。
ただし! さあ、ここで作家になりたいあなたに問います。あなた自身の生き方は、そんなふうではないと断言できますか? たとえいまはまだ社会に何も生み出していない一介の小市民だとしても、もしこの答えに詰まったのなら、「絶望」についてよくよく考える必要あり、と注意喚起させていただきます。だって、作家になりたいんでしょう?
「絶望」が未来を拓く――それはもちろん、堕ちるところまで堕ちたら、あとは上がるしかないじゃない……、なんていう悪魔の囁きではありません。望みが絶たれているのです。現実の絶望とはそんな生温いものではないでしょう。「絶望」が未来を拓く。この言葉の真意とは、絶望とは何か、どこから生じてくるのか、その正体を見極めれば、未来を拓いていくことが可能になる、という意味です。
絶望の正体を探れば、おのずと自身の置かれている状況と、そこに至った経緯に目を向けることになります。絶望がどこからはじまったのかと問えば、その根は想像以上に深いとわかるかもしれません。自分がどこで何を選択したかを確認することにもなるでしょう。その選択は果たして正しかったのか、誤りであったのか、そこに後悔はあるかないか――。絶望を知るためには、自らの足跡を振り返り、行為や判断の是非を自問し、同時に、時代と社会を検証しなくてはなりません。その作業を経て、はじめて未来の指針を見出し得るのです。それは確かに容易ではありませんが、実りある濃密な仕事であるはず。畢竟、絶望の探索とは、内外からの人間追究でもあり、作家を志す者の必修課題のひとつといえるのではないでしょうか。
僕が絶望をかかげて、語りはじめるのは、幸せばかり考えて生きていられない時代のためである。いや、おそらく現実には、幸せばかり考えていられる、そんな時代はないのだろう。だが、知らないうちにもっと大きな落とし穴に落ちこまないようにしなくてはならない。いまこそ、絶望のありかを、すみずみまでしらべて、知っておく必要がある時なのだ。
(金子光晴『絶望の精神史』講談社/1996年)
著書『絶望の精神史』の冒頭に、詩人・金子光晴が上のように記したのは1965年のことでした。50余年前、随分むかしの話で、しかも日本が高度経済成長に湧き立っていたころです。しかし光晴は、それほど遠くない未来に“古きもの”が再び顔を出し、日本人を絶望へと連れていくであろうことを案じていました。
1895年(明治28年)に生まれ、明治・大正・昭和の激動変転の時代を潜り抜けてきた金子光晴。もとよりこの詩人ほど、絶望を背負いながら生きてきた者はいないかもしれません。『絶望の精神史』は日本人論です。湿っぽい風土に馴染み、外国文化を知らずに近代を迎えた日本人が、いかなる絶望に直面してきたかを、自身の波乱に満ちた半生を赤裸々に告白しつつ論じています。
愛知県の没落した貧しい商家に生まれた光晴は、2歳のとき、建築会社で支店長を務めていた金子家へ文字どおり売られます。養父は典型的な明治人ながら寛大なところがあり、若い養母はひどくエキセントリックで移り気でした。養父母のアンバランスで一貫性のない愛情は幼い養い子を歪め、光晴は、デパートの万引き品で仲間を釣り友人の数を増やすような少年に成長します。
江戸を懐古する屍のような人々が累々と連なる一方で、機を見るに敏な成り上がり者たちが幅を利かせた明治から、借りものの文化や文学運動で、ともすると安ピカな華やぎを見せた大正を青春として生き、そのすべてを瓦解させた関東大震災を経験した光晴。養父の死後、裕福な養子の坊ちゃんから夜逃げの常習者にまで落魄し、ついに日本を飛び出して、アジアからヨーロッパへと無一文の放浪に身を投じることになります。そして、列強に蹂躙されるアジアを体感し、日本人を白眼視する巴里(パリ)の底辺生活を生き抜いた経験は、光晴の生まれもった孤独な魂を、いつしか筋金入りのエトランゼ(異邦人)のそれへと変えたのでした。
日清・日露の戦争に熱狂した明治人と違って、どこか勘定高くなった昭和人の戦争に対する情熱は、実はさほど熱きものではなかったと光晴は見抜いています。けれど、勘定高さと情熱のなさは己を騙す日和見主義を煽りたて、文学者も芸術家も一般市民も、戦意高揚の歌をたちまち唱和しはじめました。しかしエトランゼの光晴は、そのなかに紛れ込む融通をもち合わせません。代わりに、自分の眼だけを頼る気構えで中国に渡り、戦地の実態を確かめて、戦争には加担しないと態度を決めました。家族にもその方針を貫きます。長男の兵役を忌避にするために、生の松葉を燻した部屋に閉じ込め持病の喘息を悪化させたり、分厚い書物をぎっしり詰めたリュックを背に走らせたりして、ついに医者の診断書をせしめ、目的〈徴兵逃れ〉を達します。一方で、検閲を潜り抜けるため、象徴主義的手法などを用いて偽装を凝らし、戦争批判・体制批判の詩をひたすら書きつづけました。
日本よ。人民たちは、紋どころにたよるながいならはしのために、虚栄ばかり、
ふすま、唐紙のかげには、そねみと、愚痴ばかり、
じくじくとふる雨、黴畳、……黄疸どもは、まなじりに小皺をよせ、
家運のために、銭を貯へ、
家系のために、婚儀をきそふ。
紋どころの羽織、はかまのわがすがたのいかめしさに人人は、ふっとんでゆくうすぐも、生死につゞくかなしげな風土のなかで、
「くにがら」をおもふ。
紋どころのためのいつはりは、正義。
狡さは、功績(いさをし)。
紋どころのために死ぬことを、ほまれといふ。
(金子光晴『紋』/『鮫』所収/日本図書センター/2004年)
1937年(昭和12年)、光晴は7篇の長編詩を収めた詩集『鮫』を発表します。『紋』では日本人の封建的な性格を解剖し、表題詩『鮫』では侵略の図式と自国第一主義のエゴイズムを容赦なく暴きました。冷徹なリアリズムに貫かれたそれらの詩は、やがて絶望の歴史への抵抗を示す重要なモニュメントとなります。己の、また社会の絶望の正体を見極めるために必要なもの、それは徹底したリアリストの眼であったのです。
光晴の半生――貧しい家から売りに出され、養家では虐待を受け、大金を蕩尽し、無一文で異国を放浪……、絶望を知るためにそんな経験をしようったってできるものではありません。では、光晴はたまたまそのような数奇な運命に生まれ落ちたから、エトランゼとなり、リアリストとなり、絶望を知る者となったのか、というと必ずしもそうではありません。似た境遇の人間など当時ごまんといたはずです。それらの人々と光晴の人生を分かつことになったのは、異色な思想も植え付けかねないひどく極端な生まれ育ちではなく、彼自身の「絶望」との向き合い方だったのでしょう。つまり重要なのは、自分を取り囲む絶望の大小ではなく、誰もが感じるところの世の中の奇妙さや不公平さや辛さ苦しさ、その根を探り当てる作業に着手する意欲があるか否かなのです。およそ半世紀前、金子光晴はこう予言し警告を発しました。
ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう。そして、彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする。
世界的なこの傾向は、やがて、若くしてゆきくれた、日本の十代、二十代をとらえるだろう。そのとき、戦争の苦しみも、戦後の悩みも知らない、また、一度も絶望をした覚えのない彼らが、この狭い日本で、はたして何を見つけだすだろうか。それが、明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘因ではないと、誰が断定できよう。
(『絶望の精神史』)
どれほど世界が豊かに平和になったように見えても、現世は桃源郷とはほど遠く、ましてや人間存在の本質などおいそれと変わるはずがありません。現代の、人間の、また世界の絶望とは何か。作家になりたいと志を抱く者であれば、この問題に無自覚でいてはなりません。時代の上流から流れてきた空気を、ただ安穏と吸い込むばかりではなりません。現実を見据え読み解く姿勢が欠かせないのです。字義的な意味合いでの「絶望」とは、希望を失くすこと。しかし作家たる者、自らが生きる時代におけるその言葉の真の意味を、作品を創りつづける営為の果てに見出し、次代に示していかねばならないのです。
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