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写真家・植田正治に学ぶ「表現」と「演出」の神髄

2019年06月28日 【作家になる】

舞台背景と自由なイメージの関係

一枚の伝説的な写真があります。とある砂浜で4人の少女が、“四人四様”のポーズをとっている写真です。タイトルは『少女四態』。1939年発表、リアリズム写真が主流であった時代において、演出を施した写真にこだわりつづけた写真家・植田正治の転機となった作品です。年端もいかない少女たちが、それぞれの世界を抱えて存在しつつ、集合としてより大きなひとつの世界が生まれている――何とも不思議な空気感を湛えた作品です。
(※独立行政法人国立美術館のWebサイトにて写真をご覧いただけます。)

植田の前衛的な作風はフランスにおいても「Ueda-cho(植田調)」と日本語のまま称されるほど、写真家として確固とした地位を築き国際的にも評価されながら、「生涯アマチュア」と自身を標榜した植田正治。彼の写真をじっと見ていると、写真や絵や文芸といったジャンルを超えて、「表現すること」の意味と本質について考えさせられます。表現すること――そう、それはつまり「自由である」ことにほかならないのです。

鳥取県境港の生まれ。この土地に生まれたからこそ、植田は、鳥取砂丘という無二無上のホリゾントを手に入れたと、終生故郷を離れることはありませんでした。ホリゾントとは、舞台の背景となる壁やスクリーンのこと。植田にとって砂丘は、自身が創り上げる平面世界を何よりも効果的に映し出すと確信した「舞台背景」でした。砂丘のホリゾントはまた、植田の写真に明るさと無限の広やかさをもたらしました。そして、綿密に計算し工夫を凝らした「演出」が、清新な幻想性に、ユーモアやあたたかみというプラスアルファの風味を添えたのです。砂丘という特異な地形の舞台が文字どおり目にも鮮やかに伝えてくるのは、作品から紡ぎ出される“物語”の醸成に、舞台背景がどれほど重要な役割を果たすのかということです。

名作にすぐれた演出は欠かせない

植田正治が暮らした屋敷は、境港市内に往時のままの姿を留めています。家の玄関框は畳敷きですが、その畳は植田自身のアイデアで墨色に染められていて、畳みは青々……じゃなくてもよかったんだと、思わず目からウロコ。そんな鈍く光る墨色畳の効果は目覚ましく、古民家の和の要素が「モダン」へと劇的にして自然な変化を遂げています。この「モダン」こそは、どんなジャンルであっても見過ごせず安易にも扱えない、重要な様式なのだと感じ入ります。植田はこの家に十八番の演出道具であったシルクハットをはじめ、さまざまなオブジェや生活雑貨や石やガラス瓶や、果ては子どもの遊び道具、虫籠や昆虫網までを収集し(高価な物品はまるきりない)、それらをあれこれと並べたりいじくったりして写真のイメージをふくらませていったのでした。植田自身は2000年に歿しましたが、彼が集めたガラクタたちはいまも呼吸しているよう。「写真する喜び」とは植田の言葉ですが、創造すること、表現することはかくも楽しいものなんだよと、主人を失くしたガラクタたちが勝手気ままな自由人のごとく囁きかけてくるようです。植田の世界観を創出するための道具であったガラクタたちは、彼の写真のなかでそれぞれの役を負って配置されたことで、臨場感を呼び込むアイテムへと変貌し、永遠の命を吹き込まれたのでしょう。

「表現する」自由は「創作する」喜びを呼び起こす

僕は子どもの世界を撮ろう、子どもの世界を再現してやろうというのはない……オブジェとして扱うくらいの気持ちです。

植田正治写真美術館Vol.18-2 無邪気なオブジェ―植田正治、子どもたちのイメージ より)

植田のこの言葉は極めて示唆的で、創作や表現という領域が向かうべき新たな方角を照らしてくれるようです。小説を書くにしろ、詩を書くにしろ、もし「子ども」がテーマであれば、大半の人は子どもの世界を描こうとするでしょう。しかし植田は、子どもを物体として、モチーフとして、まったく別の世界を表現しようとしたのでした。そのことは前出の『少女四態』においても如実です。この写真において、「子ども」は確かにメインモチーフです。しかし、描かれているのは断じて子どもの世界ではありません。いってみればこの作品は、ひとりの作家、芸術家による、創造的な自由さに満ち満ちた新しい世界であり、芸術とは元来そうあるべき――という原点に立ち返らせてくれる一枚なのです。

普遍的なテーマを取り上げて深く考察する試みも無論重要ですが、テーマをありきたりになぞるような結果に終わっては、平板な作品を世にまたひとつ増やすだけのこと。「表現する」ということはもとより自由なこと。そしてそれら表現を受け取る側は、自分には具わっていない未開の世界の手触りが知りたくて、写真や絵なら鑑賞者、文芸ならば読者になることを選ぶのでしょう。表現する側はその期待に応えねばなりません。かといって迎合してはいけませんし、それでいて自由が無秩序やデタラメとはまったく異なることも肝に銘じたいところ。自分の世界を創りあげようとするとき、その精神と感性は常に本当の意味での自由であるべきなのです。

撮りたいものしか撮らない。いや、撮れない。写真することがとても楽しい。

植田正治写真美術館vol.19-2 生誕100年特別企画展 SHOJI UEDA:DUNES より ※下線は引用者)

小説を書くとき、詩を書くとき、あるいは絵を描くとき、「表現」しようと力み躍起になったりはしていないでしょうか。あるいは、表面的な目新しさに囚われて、逆にそれが創作の枷になってはいないでしょうか。そんなときは、自由に絵を描き文章を綴った時代を思い出してみてください。表現することとは、胸躍る楽しい遊びであったはず。書くことが楽しい、「小説する」ことが楽しい、と心底味わいながら表現してみる。そのときこそ、本を書きたいあなたの、真にあなたらしい世界が立ち現れてくるでしょう。植田正治という写真家がアマチュアを名乗りつづけたのも、表現において何よりも自由であることを重んじたからに違いありません。つまり、あなたがいまはまだ職業作家でないとしたら、それは外部の思念に囚われずに作品を著すチャンスなのです。

※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。

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