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書店店頭に足を運びレジ前の平台に目を向ければ、芸能人や元政治家など、作家を生業とするわけではない著名人の「自伝」をいつでも見つけることができます。読者としてはそれらすべてが傑作であればうれしいのですが、残念ながらそのはずもなく、大きな声では言えませんが、自身の主戦場での活動の宣伝告知みたいな、来歴の自画自賛みたいな、あるいはスキャンダラスな告発手記みたいな、ファンか野次馬しか喜べないような作品も少なくありません。彼らも彼らで、せっかく本を上梓したというのに、人気取りだの落魄れの巻き返しの一手などと陰口を叩かれるのだから、人気稼業も大変です。しかしそんななかで、ハッとするほどの輝きと品格を具え、上質な文学として成立している一冊に出会うことがあります。それは書店の一等地を占めるに相応しいベストセラーとなり、あの女優が、この歌手がと、彼らの“格”はたちまちうなぎのぼりに。自分の人生を題材にしたその一作で「芸能」や「政治」の枠を超え、彼や彼女はやがて作家としての優れた資質を世に知らしめるに至るのです。ある意味で“石”と“玉”の違い。このかけ離れた差はどこから生じてくるのでしょうか?
一応ここで誤解となりそうな点について先に触れておくと、自伝や自分史の質というのは、有名人の人生だからとか、一風変わった人生ルートを辿ったからとか、その「材料」に左右されるわけではありません。その差は、みずからの人生を振り返り、それを再現しようとする「意識」と「視点」によって現れてきます。つまり逆にいえば、その意識と視点をしかと固めておけば、たとえ一見凡庸とした人生だとしても、優れた自分史が書けるということなのです。
自分史の執筆にあたって、己が生きてきた記念碑を建立するがごとく取りかかる人がいます。自分の作品なのですから、それをどう書こうと確かに自由なのですが、端から、ただ記憶を掘り起こして出来事の列記に終わらせるのでは、もったいない。たとえ家族や親しい人にのみ向けたものであっても、もしそれが読み物としての質を具えていたとするなら、それほど素晴らしいことはないでしょう。せっかくの記念碑であるなら、より輝かしい記念碑をどーんと打ち立てようではありませんか。
たとえば、外国で現地の人たちの協力を得て一大建築物を建てた人がいたとします。その彼が、自身の仕事を振り返りこんなふうに自分史にしたためたとします。
それは一大事業だった。数々の困難があったが、多くの人々が助けてくれた。彼らの善意によって、不可能と思われた仕事が可能となった。完成の日、その場は拍手と歓声に沸いた。私の胸は感謝と誇らしさでいっぱいになった。忘れられない出来事である。
数々の困難も、人々の協力も、拍手と歓声も、事実として読めはします。ですが、残念ながらここには一面的な見方しか存在しません。現地の人々は、ただただ善意100パーセントの心意気で協力したのでしょうか。違うはずです。どの国を探しても童話に出てくるようなそんなお人好しはいません。自分たちの利益になるから、仕事が評価されるから、生活が豊かになるからこそ、協力したのです。なのにこのひとくだりには、書き手が「こうだ」と思いたい見方、そうであると盲目的に信じる見方しかなく、現場で起きている実際の出来事の真実を見透そうとする「知力」を決定的に欠いているのです。では、自分史を書くために欠かせない「知力」とは、いったいどんなものなのでしょうか。
「知力」とは、文字どおり知ろうとする力――知恵を働かせる能力――のこと。上掲の一文では、出来事の本質、人との関係性の真実を知ろうとする力に欠けていました。するととたんに自分史は、執筆者の見たいように見た出来事の羅列に過ぎなくなり、読み手の感動や共感を誘うことは難しくなってしまいます。ほら、たまにあるでしょう? 宴席などで一方的にまくしたてられる自慢話に辟易することが。それと同じです。唯一無二の碑となるはずの「自分の自分史」が、そんなふうに終わってしまってよいものでしょうか。読み手から向けられる視線が、ああこの人は過去の仕事でも独り善がりで周囲を困らせてきたんだろうな……オツカレサマと、冷ややかさが一周まわって幾分温くなったような優しいものであっていいのでしょうか。許せませんよね? あなたの自分史を真に輝かしい“碑”とするために、自分の人生はどのようなものだったのか、その当時自分はどのような気持ちでひとつひとつの出来事に向き合っていたのか――を、知る力と知ろうとする意識をもって振り返り、その総括から自分史創作はじめてみようではありませんか。
もう二度と同じ間違いをしてはならないと心に誓った。
しかしひとつ分かったことは、それこそ人間の面白い所でもあり驚くべきところなのでもあるのだが、過去の経験からひとは何も本当には学べないということだ。
もう二度と火傷はしたくない、してはならないということは、頭のなかではよくわかっているのだ。
しかし、気持ちの上ではわかっていない
――時間とともに過去の苦い体験はいつか忘れ去られていくのである。
(ローレン・バコール著/山田宏一訳『私一人』文藝春秋/1984年)
ローレン・バコールはハリウッド黄金時代(1930〜40年代)を代表する女優のひとり。20歳で同じくハリウッド映画の俳優ハンフリー・ボガートと結婚し、32歳で夫の死を看取り、人気絶頂のときもそうでなくなったときにも作品を選び“真の女優”を貫いた彼女が、50代半ばで発表したのが自伝『私一人』です。全米図書賞を受賞した本書は、ドラマティックに脚色された数多のスター自伝の事例とはまったく毛色の違うものでした。バコールは、ドキュメンタリーを撮るカメラマンのような怜悧な眼差しで己の人生を振り返りました。出来事と自分の行動、またその根にある心の動きをつぶさに知ろうとする力をもって、みずからの人生をページの上に再現していったのです。スクリーンに映し出された自分の姿は捏造されたもの、そのイメージに抵抗しながらも翻弄された自身の愚かさ、卑小さを淡々と語りました。女優であろうと、作家であろうと、市井の一個人であろうと、ちっぽけな“ひとりの人間”に過ぎない、しかし、ほかの誰かに置き換えることなどできない“唯一無二の人間”であることを描いてみせたのです。
自分史や自伝とは、たったひとりの人間の生を刻む物語。作家志望者が書くとするならばそれは、半生の総括であると同時に、作家になりたい自分自身の試金石になると考えるべきでしょう。なぜなら自分史は、自分がもっともよく知る人物「自分自身」を主人公に位置づけて描くという、このうえなく有利な条件のもとで執筆できる唯一の作品だからです。そんな一作を、単なる力のない記録に終わらせてしまっては、貴重な時間と労が惜しまれます。灯台下暗し、自分のことは自分が一番知らない――そうした道理もたしかに世の常ではありますが、そんな言いわけはむしろ、それを言う者の客観性や観察眼を疑わせ、いかにもアマチュアな書き手と他者に見せてしまうだけなのです。
半生の物語の執筆は、いつでも何歳のときにも取り組むことができます。さらにいえば、それを発表する時期だって、「これぞ金字塔」と思える作品に仕立てあげてからでいいのです。なにも気負う必要はありません。ゆったりとした気持ちと、平常心に支えられる冷静な知力とシャープな眼差しをもって、己を主人公とする物語に向き合ってみましょう。もしかしたらそれは、思いもよらない自分を発見する機会となり、実生活においても思わぬ副産物をもたらしてくれるかもしれません。記念碑の完成を目指す方も作家志望者も、志は高く大きく、自分史を文学の域にまで高めるべく、いざ挑戦です!
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