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サスペンスドラマで、序盤の“つかみ”として起用され早々に姿を消す端役のように、いらぬ好奇心からパンドラの箱を開けてしまい、人生を右へ左へと蛇行させてしまう人がいます。日本国内に限らず、イギリスに「Curiosity killed the cat(好奇心は猫を殺す)」といった字面も穏やかでないことわざがあるように、「好奇心」とは、余計なことに首を突っ込むと命の保証はないぞ……と言わんばかりの不吉な響きを伴って伝えられることが少なくないようです。
では、好奇心とは危険なものなのか、もってはいけないものなのか、というと、もちろんそれは違いますよね。その理由は語るまでもないでしょう。が、もとより「好奇心」には種類があり、その善し悪しを分けるのは、その心理が湧いて出てくるところの“動機”にあるといえそうです。まあ、サスペンスドラマ的な犯罪現場を探る機会にはなかなか出くわしませんが、他人の秘密やゴシップを知りたがる類いの好奇心は、いささか不純な動機に端を発しているといえるでしょうか。まずそれがひとつめの「好奇心」。それから、知識欲や学問的探究に関わってくる知的好奇心があります。これがふたつめ。そして三つめに、何の目的ももたず、ちっとも役に立ちそうもないのに、まるで火のないところに煙が発するように生じる「好奇心」があります。じつは、絵を描くにも小説を書くにも、創造・創作にもっとも力を発揮するのが、この何の役に立ちそうもない第三種の「好奇心」なのです。
「idle curiosity」――目的のない好奇心、無用な好奇心が創造性の根源であると説いたのは、アメリカの経済・社会学者ヴェブレン(1857-1929)です。役に立たず無益であるがゆえに、利益を追求する資本主義社会の論理とは相容れず(つまり自由で)、だからこそそこに創造、発明、発見、生産が生まれてくるというのです。これを、資本主義経済に耽溺するアメリカの経済学者が説いているという皮肉はさておいて、「無用な好奇心」とは、要するに本能的・自然発生的で無自覚的、ある種天真爛漫な好奇心、と捉えればちょうどよいでしょうか。
1960年代後半から70年代にかけて、若い世代の圧倒的な支持を受け、日本においてサブカルチャーという社会現象の始祖的存在となったひとりの粋なじいさんがいました。その名は、植草甚一。彼の人生は西高東低ならぬ若低老高、60歳からその死までの十数年間、文字どおり一世を風靡するカリスマとなりました。
1908年東京日本橋の生まれ、生家は比較的裕福な商家でしたが関東大震災で被災し困窮、大学ではポップアートに目覚めるものの学費未納で除籍……と失意の青春期を送った植草甚一。本という本を乱読する性癖のもち主だった彼は、すでにこの時期「idle curiosity」の大きな塊になりつつあったはずであり、アパレル工場に勤務する傍ら数々のアルバイトに手を染め、やがて映画会社に入社し、膨大な雑学の知識を武器に、映画・文学評論家として頭角を現していきます。
「やりたくないことはやらない。やりたいことだけをやる」と公言して憚らず、何の役に立てようとも思わず好奇心の赴くまま雑学を極めた彼の職業・肩書は、エッセイスト、編集者、文学評論家、映画評論家、ジャズ評論家、古本収集家……。いえいえ植草甚一は、自身の興味の向かう世界を横断し、ひたすらその妙味を味わった生粋の自由人でありました。そんな植草がモダン・ジャズに取りつかれたのは48歳の中年期でした。
もともとモダン・ジャズは、他の人から教えられて好きになっていくような性質のものでなく、ふとしたある瞬間、まだ経験したことのないような新しい興奮をあじわったことから、しぜんとすきになっていくものなのです。
(植草甚一『いつも夢中になったり飽きてしまったり』筑摩書房/2013年)
以来、歩きまわり、探しまわり、買いまくり、聴きまくり、収集したレコードは4千枚(植草の死後タモリが引き取った)、蔵書は4万冊にものぼったといいます。しかし、じっくりと確かめ見極め尽くされたそれらは、後生大事に抱え込んだコレクションというわけでもなく、彼自身にとってはすでに遺物の集積に過ぎなかったかもしれません。そもそも、植草甚一の言葉がなぜ若者たちを惹きつけたか――。答えは簡単で、斬新な視点と多様性があり、かつ説得力に富んでいたからです。彼の巨大な好奇心は、ひとつ事にのめり込めば、どこまでも探究せずにはいられず、それゆえ膨大な雑学知識を蓄積し、鋭い感性と洞察が養われ、言葉は常に若々しい熱を発しつづけたのです。
いまも部屋の中を見まわしながら、こんどは誰のを読もうかなと考えていると、そうした本にはブローディガンのように未知の世界へと誘ってくれるものがあるはずだから、気持ちがう浮き浮きしている。
(『ぼくの読書法』晶文社/2004年)
こうした生き方の果てに、何かが発見できると信じつづけていたかどうかはわかりません。ただ、心逸るままに渉猟の半生を歩んだ植草甚一が、「未知の世界」の魅惑と発見に人々を導きつづけたことは間違いありません。そう、「idle curiosity」とは未踏領域をどこまでも限りなく巡りつづける宇宙探索船なのだと、この元祖サブカルチャーの存在は教えてくれるようです。
「idle curiosity」といえば、『種の起源』を発表し現代生物学の礎を築いたチャールズ・ダーウィンは、そのチャンピオン級のひとりに数えられるでしょう。幼いころから貝殻や石ころを集めまくり、めずらしいカブトムシを見つけ両手で間に合わないと口のなかにまで入れて持ち帰ろうとした(そして苦さに挫折した)ダーウィン少年は、長じても学業とは関係のない収集やら採集やらに血道を上げ、高名な医師の父の期待をことごとく裏切ります。しかし、のちにガラパゴス群島で生物分布の不思議に気づいたのは、好奇心に培われた観察力、収集癖の賜物に違いありません。
ところで、ダーウィンといえば進化論ですが、彼の記した『種の起源』は、“人間は神が創りたもうた存在”と説くキリスト教会から批判され、西洋哲学の転換をもたらす一大論争を巻き起こしました。ここから世界は宗教支配から脱して人間中心主義社会の道を歩んでいくわけですが、そこにたちまち弱肉強食思想を人間社会に当てはめて侵略・植民地化・人種差別・民族弾圧といった「社会ダーウィニズム」や「優生学」が生まれてきたことに、ダーウィン自身愕然とします。そうして、『種の起源』から十余年ののち、ダーウィンが世に送り出したのが『人間の由来』です。
最も思いやりの強いメンバーを最も多く含んでいる、その様な集団は最も繁栄し、最も多くの子孫を育成する。
(チャールズ・ダーウィン/長谷川眞理子訳『人間の由来』講談社/2016年)
ダーウィンの生涯こそは、「idle curiosity」が、人間洞察や物事の真理など、ときに雑学の蓄えに留まらない域にまで到達することを示す偉大な見本です。それは偉人にのみ起きる現象とは限りません。人生で出会ったものに対するふとした興味が、先々あなたを不思議で想像もつかないほど壮大な道のりを歩ませるきっかけになるかもしれません。作家になりたい、小説家になりたいと思うあなたであれば、はじめから少なからぬ好奇心はもち合わせていることでしょう。けれど実社会に生きるなかで、好奇心の発動が頭のなかの何かに抑制されてしまっていることはありませんか? そんなこと知っても無駄だし、いまの創作に関わりないことだし……と。そのブレーキはもしかしたら、作家・文筆家を志すあなたの世界、可能性を狭めてしまっているかもしれません。「idle curiosity」――役にも立たないと思う好奇心こそ、創造性を育てる根源であることをどうぞお忘れなきよう!
※Amazonのアソシエイトとして、文芸社は適格販売により収入を得ています。
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