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上のミスターダンディーは……についてはあとで触れるとして、オリンピックに出場するような超一流アスリートを目指そうとするなら、相応の「師」の存在が必要不可欠です。ただそれもフィーさえ支払えばいいというわけでもなく、一流の師の教えを受けようとするならば、生徒自身にだって一流の資質が認められなければなりません。お金もちのボンボンだからといって、名うての師が凡才少年と本気でメダルを狙おうとするとは考えられません。
では、人が作家になろうというときは、どうしたらいいのでしょうか。ひとむかし前なら、志を抱く文学青年が敬愛する先達の門を叩く――なんて例もあったのでしょうが、平成の元号が使われて久しい現在、この美談そのものが近代文学然とした香りを漂わせます。では、現代に生きる私たちが、どうすれば憧れの作家に師事することができるかといえば、答えは簡単。そうです、「師」と見定めた作家の作品を耽読(たんどく)し、彼らのものの捉え方に想像を巡らせ、作品はもちろん彼らそのものに全身で傾倒することです。相手は絶大な評価を勝ち取っている大作家だっていいし、ご存命でなくたってかまわないんです。そうして広がる選択肢のなかから、あなたは生半可な生身の師よりももっと力強く「自分の本を出したい」という夢に導いてくれる「心の師」を見つけだせばいいのです。
ちょっと身も蓋もないことを言ってしまうと、そもそも「作品」そのものが「手のうち」すべてを晒しているような作家という稼業においては、“生身”の師は必ずしも必要ではないのかもしれません。かつての文学青年がどう考えていたかは窺い知れませんが、書生として住み込み技術を盗もうというのは、その「生活」に自分をはめ込むことによって退路を断つような、どこか出家にも似た行動だったのかもしれません。もしあなたが、そんな「不退転の覚悟」優先で作家になろうというならば、ゴールデン街あたりから人脈づくりをはじめ、文壇バーの敷居も跨げるようになるまでの道程を、まずは覚悟せねばならないかもしれません。
田舎暮らしと人見知りの激しさゆえ、小説を書くうえでの生身の師匠を持ち得なかったわたしだが、小説家とは本来こういうものでなければならない、と勝手に師と仰いでいた作家はいる。それが開高健だ
(南木佳士『天地有情』岩波書店/2004年)
作家の南木佳士は開高健の熱烈な愛読者で、開高を「文学上の師」とまで呼んでいます。ここまで読めばおおかたのところ、ああ師弟関係だったのねと思うものです。が、彼らに直接的な接点はありませんでした。おもしろいことに南木氏は同じ著書のなかで、作家になったのち開高作品をあらためて読み返してみて、その過剰なほどの語彙に少々わずらわしさを感じた――とも告白しています。なんてことでしょう。勝手に師と仰ぎながら、いざ自分も同業の位置に立つや、師の文体の妙を毀損するのにも似た発言をするとは。しかしこれは、明けても暮れても師の著書を読み、果ての果てまで傾倒した南木氏ならではの開高作品に対する新しい解釈であったのでしょう。師の開高から南木氏がついに独立し、「作家になる」目標を真になし遂げた証左だとも読み取れます。
最近では、『苦役列車』で第144回芥川賞を受賞した西村賢太氏が、藤澤清造の没後弟子を自称し、自費で師の全集を刊行しようとしたり、月命日ごとに墓参するだけでは飽き足らず、隣に自身の生前墓まで建ててしまうなど、その徹底した「勝手に師事」ぶりが受賞の話題とともに広く知られるエピソードとなりました。
芥川龍之介、太宰治、ヘミングウェイ、シェークスピア……彼ら文学史上の巨人から直接小説作法を学ぶことはできません。けれど、彼らを師と仰ぎ、作家になるための礎とすることができるのは、誰もに平等に与えられている選択肢です。彼ら偉大な作家の作品が「分身」として残されているからですね。この事実を反対側から見てみれば、それだけ「本」という存在は、生身の作家そのものにじかに触れるがごとく学びの多いものなのです。そこには、かつて生きていた大作家の息使いや精神、思考の道筋を窺うことができ、その向こう側には、ひとりの人間としての凡庸ならざる彼らの人となりすら見えてくるのかもしれません。
そして最後に、冒頭のミスターダンディー。この面影は知らずとも、お名前だけならご存じの方が多いでしょう。19世紀のフランスの小説家オノレ・ド・バルザックです。貴族でもないのに自身の名前に「de」をつけ貴族を装い、悪魔的なユーモアで多くの人を惹きつけたバルザック。イギリスの作家サマセット・モームをして、「確実に天才とよぶにふさわしい人物」とまで語らせたバルザック。もちろん彼を「師」と仰ぎ大成した作家は、今日に至るまでの後世にたくさん生まれたことでしょう。それと同じように、もしあなたが望むのならば、あなただってバルザックを「師」として心のなかにお迎えすることができるのです。そしてそんな師弟関係は、いまこの瞬間からだってはじめられるのです。
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