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「沈黙」――作家の知的ステージを上げる重大要素

2020年08月27日 【作家になる】

和製語「インテリ」は脇に追いやり、「知性」と正面から向き合う

いきなりですが、本を書きたい、作家になりたいと思う人ならば、知的な好奇心や向上心は当然もっていることでしょう。なんですと? そんなものまったくもち合わせない? いやいや、斜にかまえてはいけません。モノ書きといえば天の邪鬼、やさぐれ、世捨て人……と相場は決まっていますが、もしもあなたが本気の本気で、知性といわれるとヨワイ――などとしおしおと腰が引けているのなら、おおいに焦って知性を磨く必要があります。なにも知性を磨くといったって、無理にでも何かの勉強をしろだとか、呪文の羅列にしか見えぬ哲学書に齧りつけだとか、苦行を強いるつもりは毛頭ありません。小説を書く、詩を書くという創作活動が、そもそも知的・創造的な欲求と深い関係があることは、たとえあなたが卑下していたとしても認めるところでしょう。そう、あなたの「書く」という行為を生んだおおもとには、「書きたいこと」「知りたいこと」があったはず。つまり、これまで書く衝動のルーツに対して無自覚だったのなら、その空白部分を深め広げて、作品上で実体化させていく営みが「知性を磨く」ということなのです。

知性を磨くためにはいかにすべきか、と話を進める前に、少しだけ「知性」について誤解のないようにしておきましょう。英語でいえば「知性」は「intelligence」、「知性をもっていること」は「intelligent」。いっぽう日本語で「あの人は知的だよね」と言えばまだ響きはいいものの、「あの人はインテリだよね」と口にされた瞬間、往々にして侮蔑のニュアンスが立ち昇ることはお気づきでしょう。学はあるらしいけどそれだけよね、みたいな。お勉強としての教養はあるかもしれないけど真に「知的」とは認めない、みたいな。ひがみ半分にも聞こえますが、残りの半分はやはり真にそう思っていると考えるべきなのでしょう。一億総中流感覚の強い日本特有の、足の引っ張り合い、出る杭は打たれるといった因習が、いまだ社会や人の心理のそこここに根深く残っているのですから。要するに日本語の「インテリ」は、語源であるロシア語の「インテリゲンチャ(=知識階級)」から離れ、和製化の変遷のなかで、卑屈さが転じて“知性“や“知識人”への軽侮的意味合いを帯びてしまったのです。かくして和製語「インテリ」からは、本来の「intelligence」「intelligent」が合わせもつ「品格」が抜け落ちてしまったわけですが、座してこれを横目で眺めているだけではいけません。作家を目指す者はすべからく知性を磨く努力をしなければならないのですから、ここはひとつインテリという語がもつニュアンスは脇に追いやり、ただただ本物の知性と正面から向き合うことにいたしましょう。

メンターが説く創作ステージアップの鍵

1980年代のアメリカに注目を集めた女性評論家・作家がいました。大変な美貌でしたが、その容姿にではなく、芸術・文学・時代を読み解く彼女の鋭い眼力と洞察力に、当時の“知識人”たちは太刀打ちでずみな兜を脱ぎました。彼女の名は、スーザン・ソンタグ。「スタイルこそが重要だ」「スタイルこそがラディカルな意志をもつのだ」と説いたその言葉に、世の(真の意味での)インテリたちはカミナリに打たれたように痺れたのです。ソンタグのいう「スタイル」はさまざまな文化様式におよんでいますが、とりわけ芸術・文学の分野で説かれたのが「沈黙」の意味でした。

「なにもない」なにかを見ることは、やはりなにかを見ていることであり、やはりなにかが見えることなのだ――たとえそれが自分自身が期待しているものの影であるにしても。充満を知覚するためには、それを浮き立たせる空虚について鋭敏な意識を持ち続けなければならない。逆に、空虚を知覚するには、世界の他の領域を、充満したものとして把握しなければならない。

(スーザン・ソンタグ著・川口喬一訳『ラディカルな意志のスタイル』晶文社/1974年)

一見すると衒学的で難解な表現とも受け取られかねないこの一文。でも目を凝らせば、一語一語は平易で、論理的で整然とし、その意は明快であるとわかります。これを理解し自分のものとすることは、小説なり詩なり、創作のステージアップの重要な、かつ大きな一歩となるはずです。「なにもない」――すなわち「沈黙」の要素を、いかなる芸術・文学も内包します。「なにもない」ところには実は「なにか」がある。それを「空虚」と呼ぶのなら、「空虚」を取り囲む他の部分にもまた別の「なにか」が充ちていることを理解しなければならない――そうソンタグは伝えているのです。

「沈黙」は必ずその対立概念を含み、対立概念があることによって成り立つ。ちょうど「下り」のない「上り」はありえず、「右」のない「左」がありえないように、沈黙を認識するためには、音あるいは言語を取り巻く環境を認識しなければならない。沈黙はただ単に言葉と音の溢れた世界に存在するだけではなく、あらゆる任意の沈黙は、音によって貫通された時間の拡がりとして、そのアイデンティティを持つ。

(同上)

小説でも詩でも絵画でも、なにも描かれないところにも沈黙する「なにか」があります。優れた商業コピーにしたってそうです。そして「なにか」を生じさせる「対立概念」は、その物語なり詩篇なり音楽なりを大きく覆うものであるはずです。ある意味、その「なにか」を際立たせるために、目に見えるセンテンスや図画があるといってもいいのかもしれません。作家が抱えるバックグラウンド、またそれを包み込む思想や時代性といった核心を描き出すために、作家はひと筆ひと筆に技巧を凝らすはずなのです。「空虚」「沈黙」がもつ意味を知り、それを創作に生かす姿勢(スタイル)をもつ――それこそ作家が知性を磨く決めの一手となるのでしょう。

芸術・文学のオベリスクに刻まれる「沈黙」の二文字

ソンタグの「沈黙」についての考察に触れるとき、折り重なるようにいっそう暗示的に響くのは、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの言葉です。「芸術はいかなる個々の作品においても、人間に注目されることを前提としてはいない」(『翻訳者の使命』)――明日にも飛翔せんという作家の卵たちが、売文家に堕ちた商業作家を差し置いてこの精神を忘れ、知性を磨くのを忘れてしまったとき、いかなる事態を招来することになるのでしょうか。

あなたが本を書きたいと青雲の志抱いているならば、ぜひ想像してみてください。文壇でも文学界でもいい、夥しく本が積み重ねられた空間でもいい、あるいは作家たちが集うパーティ会場でもいい。そこに、一見何もない一角があるとします。そう、まるで“沈黙”しているかのような……

さて、この沈黙する「なにか」が意味するものはいったい何? そしていっぽうの大空間には何が充満しているのか――?

この問いに答えを見出したとき、あなたの知的ステージ・芸術的感性度は、すでに飛躍的にアップグレードされているに間違いありません。

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