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読者を惹きつけるエッセイの魅力のひとつに、内容・テーマがその人にしか書けないもの――が挙げられるでしょう。“専門性”と言い換えてることもできます。が、学者であるとか特別な資格が求められるわけではありません。ただ、“何か”を途方もなく好きであること。そのことに、自身の感性や技術をとことん磨いて注ぎ込むこと。そうした思いに導かれるまま自分の道を邁進していく先に、自然発生的に、その人にしか書けない文章が生まれてくるはずなのです。
『きまぐれ美術館』は、芸術新潮に1974年から10余年にわたって連載された洲之内徹の美術エッセイです。美術評論でも、美術作品の蘊蓄や解説を綴るものでもなく、伝説的な画廊《現代画廊》を経営した洲之内の美意識と嗜好が、「誰が何と言おうと、俺はこれが好きなんだ!」と言わんばかりに行きわたって芸術世界を逍遥した、まさしく自由気ままなエッセイでした。
佐伯さんの抱えてきたカルトンの中身は、この春、彼女が郷里の吉浦へ帰っていたときの水墨の作品であった。私は、初め、その作品に溢れている優しさ、懐しさは、彼女が自分の生まれ育った土地に対して抱いている優しさと懐しさなのだと思った。彼女と、この風景とは血が繋がっている。気持が温かい。自分が朝夕見て育った風景だから、風景の姿だけではなく匂いも知っているのである。画材探しにちょっと旅行をして、絵になる風景を見つけて描いたというのでは、とてもこうは行かないだろう。
ところで、佐伯さんの郷里の広島県の吉浦は、私の郷里の松山とは、幅が狭い海を挟んで向いあっているのである。海の容も山の形も似通っている。だから、私にも、その水墨の風景は懐しく映るのだろうか。それもあるが、しかしそれだけではなく、そういう絵の優しさと懐しさに、いうなれば私は渇いているのだ。春、秋の公募展などに並ぶ現代の絵に、いちばん欠けているのがそれなのである。
(洲之内徹『帰りたい風景―気まぐれ美術館』新潮社/1999年)
洲之内徹は1913年生まれ。東京美術学校(現・東京芸術大学)を退校後徴兵され、中国大陸で作家・田村泰次郎と知り合い、戦後小説家を志し窮乏生活を送るなか、田村が経営していた《現代画廊》を引き継ぎます。田村は先輩だっただけに、洲之内もはじめはなかば渋々……といった気持ちがあったようですが、ふたを開けてみれば洲之内の活躍は水を得た魚のごとくで、たちまちにして今日伝説化している《新生・現代画廊》をつくりあげてしまいます。その鋭敏な感覚と審美眼は注目の的となり、斬新な企画展を催し無名画家との出会いに労を惜しまぬいっぽう、気に入った作品は自分のコレクションに囲い込んでしまうという、あり得べからざる性癖があって、ときに客と「売れ」「売らん」の押し問答を繰り返すという型破りの画廊主ぶりだったようです。洲之内は評価の定まった画家や作品に関しては、手垢だらけの古物程度にしか思わず、新しい作家・作品との出会いをひたすら求め、そうして出会った画家や作品を鏡にするようにして、自身の心の風景を『きまぐれ美術館』に描き出したのです。それは芸術の香り高く、同時に、どこか懐かしい風景でした。
華道家・川瀬敏郎に学ぶべきは、己の道を追求する“求道”の姿勢です。十把一絡げに「華道家」と呼ばれはしますが、流派入り乱れ因習はびこる華道界に背を向け、みずからを“花人”と名乗って孤高の活動をつづけている川瀬。彼の花は“生け花”ではなく、花の姿に自然信仰の神を見出そうとするかのような“たてはな”と呼ぶ一輪花、そして、花の自然の姿を何よりも尊ぶ、千利休が大成させた“なげいれ”の技法でした。
簡単にいえば、日本の花はたてるという「縦糸」(宗教性)と、いれるという「横糸」(装飾性)の二つの原理で織り上げられた一枚の布でもあるのです。そして、この縦横が交わる「点」の花を打ち入れた人物が千利休というわけです。利休によって、日本の花はへそが据えられたのです。たった一輪の花に、天の「たてはな」と地の「なげいれ」が具現化されたのです。(中略)本来の自由な「なげいれ」と形骸化した「いけばな」が混同されてきたことが、日本の花の本質を混沌とさせているのですが、花を生けることの根本は、一本一草の自然から心の言葉を取り出すこと。決まりがない分、「なげいれ」にはその人の生き方が見えてしまう。それだけ怖く、難しい心の花ともいえます。
(川瀬敏郎『花は野にあるように』淡交社/1984年)
それにしても「孤高」という言葉は、凡人の憧れの念を掻き立てて止まない一種神々しいカッコよさをまとっているようです。かの白洲正子が日本でただひとりの天才華道家と評した川瀬敏郎。彼は“花”をひたすら究めることを己の道とし、まさしく孤高と呼ぶに相応しい求道者の風貌を具えているのです。
エッセイストになるには、好きなことをやればいいんだ、なあんだ簡単じゃないか……などとは、ゆめ思ってはいけません。“好き”を貫く道は、“好き”だからこそなお一層手ごわく、全力で乗り越えなくてはならない波乱があるはずです。けれど喜びと苦しみを同時に味わうようなその道の向こうには、エッセイを書くための自信と確信に満ちた言葉がきっと、待っているはずです。
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